目にするだに、はたまた流れの音を聞くだに、冷えびえとした天竜川の流れは、人をずっと拒否していた。それが、「水温む」という季節になって天竜川だけでなく、一昨日に行ってみた山奥の山室川にも、親しさとか、やさしさを水の色や瀬の音に感じた。春は、冬の間出稼ぎに行っていた隣家の人が無事に帰ってきたような安堵と、懐かしさを味合わせてくれる。
そうした反面、梅の花はすでに散り始め、季節の主役は桜の花に変わった。その花も、人々の熱狂をひと時掻き立て、あっさりと散ってしまう。「春宵一刻値千金」、春の宵の艶めかしさを盃の酒に溶かして、新しい季節を迎える喜びと、去っていく季節への労いをこめてそれを干す。別れと出会いの挨拶が、巡る年月の速さをしみじみと語り、教えられる時季でもある。
恐るおそる、カタクリの花がようやく咲いた。蕾らしきを目にしてから、幾日が過ぎたのだろう。一輪だけではあっても、山採りしてから里に移して幾年も過ぎた。野草らしく、園芸種のような化粧っ気のない感じがなかなかいい、好みに合っている。
他方、楽しみにしていたボケの花はまだ咲かない。そればかりか先日庭木の手入れをしてもらった際に、開花を待たずにかなりの枝が切り落とされてしまった。それでも、まだ少しは残っているから、残されたそれらの枝の奮闘を期待している。
昨日、北原のお師匠の来訪あり。法華道に残る古い地名を記した地図が「三義地域おこしの会」によって出来上がったと、わざわざご自身で車を運転して持ってきてくれた。「法華道と美しい山里の村」という名のこの地図を、上にも是非置かせてもらうようにしたいと考えている。
師のこの古道に残る地名への拘りは強く、長年にわたるその思いがついにかない、弟子としても何よりだったと喜んだ。
きょうはこの辺で、M田さん有難う。