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Photo by Ume氏
昨夜は面白い夢を見た。ここのキャンプ場に、そういう場所は実際にはないのだが、夢の中では以前にも出てきた〝懐かしい"幕営地で、幾人ものキャンパーがテントを張っていた。よく見るとさらに向こうの一段高い場所にも、テントがある。全部で10張りほどだが、どれも山用で、最近流行りの大型テントやタープ、テーブルや椅子などはない。周囲の景色も、山際の狭い棚田のような所だった。
料金を貰いにいき「ひとり一泊1千円です」と言うと、皆が驚いた顔をしてこっちを見た。男も女もニッカーボッカをはいて、厚手の毛のカッターシャツを着ていた。どうやらそこは、どこかの山のテント場で、時間も現在ではないらしい、と合点する前に目が覚めた。
最近、管理棟の裏で、壁板替わりにされていた古い「キャンプ場使用心得」という案内板を見付けた。昭和40年、西暦なら1965年で、今から50年以上前に掲示されていたものである。その白く塗ったトタン板の上に、手描きで黒く書かれた、当時のキャンプ場使用料金を見て泣けた。恐らく当時としても格安だったと思うが、一般1名20円で、さらに高校生以下は10円とある。
押し入れには、その当時に作られたパンフレットが使われないまま、いまだに大量に残っている。当時は、まだ高遠町は伊那市と合併してない。キャンプ場やその後に建てられた小屋も含めて、高遠町や東部農協(現在はJA上伊那東部支所)が管理経営していたはずだ。
今でこそ「時代遅れの山小屋」などと呼んでいるが、この小屋は昭和48年に建てられ、簡単な食事や飲み物などを提供するため、賄いの女性もいたらしい。風呂は管理棟前の物置場の中に五右衛門風呂があって入浴できたと、そのころを知っている古い利用者から聞いた。
70年代当時の経済発展に押されて、こんな山の中でも新しい観光事業をそれなりに立ち上げようとしたのだろう。その期待や努力の跡が半世紀近く経ってもまだ残っている。「時代遅れの山小屋」はその代表であろう。
本日、下からの要請もあり、大型の囲い罠を仕掛けた。目標・・・、内緒。
11月から、冬季営業となります。カテゴリー別の「28年冬季営業の案内」を参考にしてください。料金を含め、営業内容は昨年と同じにしたいと思います。