入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「秋」(18)

2021年09月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 深まる秋、久しぶりに深夜起きている。午前3時少し前、いろいろと思うこと多く、例によって強い酒を飲みながらアルコールでそれらをこねくり回している。どんなカクテル味になるのか。
 
 きょうの写真は「貴婦人の丘」を北の方向にドローンのカメラを向けて撮った1枚。人ばかりか牛にもお気に入りの丘で、今は屋外スタジオのような場所になっていて、牛の放牧はしていない。
 昔は「ナシの木」と呼んで、北原のお師匠が子供だった80年以上も前には、ここにあったヤマナシの実を食べに芝平の子供たちと連れだって来て、放牧中の馬を追い駆けたりして遊んだ思い出の地だと以前から聞いている。
 90歳を超えるお師匠以上に長い歴史のある牧場であるが、これから先、この丘ばかりか牧場全体はどう変わっていくのだろう。200頭近くの牛が上がってきたころでも、事業規模はそれほど大きくはなく、それも今では牛の入牧頭数は減るばかりで牧場の存在意義は薄れ、このまま牧場を維持していくのはますます困難になるのではないかと案じている。
 そうなったらしかし、ここの自然やこの美しい景観はどうなってしまうのだろう。一介の牧守がそんなことを心配してみても詮無いこととは充分に分かっているが、その不安は間欠泉のようにときどき噴き出してきて、眠れぬ夜を悩ます。

 記憶力のせいかどうか、これまでに何度か仕事を変えてきて、職を去る時の一抹の寂しさはあっただろうが殆ど覚えていない。どの仕事も今は淡々と思い返すだけである。しかしその中で、3年で終わった小さな店「CAMP ONE」と、この牧守の仕事については違う気持ちを持っている。
 遠い昔、苦境にあった時、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるからと、当人こそが苦境のど真ん中にいた人物から、慰められたことがあった。その言葉を嚙みしめつつ、一体いくら流されたらその瀬に流れつけるのかと思いながら流され続けた。
 何年が過ぎたのだろう、ようやく流れ着いたのがささやかな瀬、つまりこの牧場であった。そして以来、広大な自然と牛を相手に、野生シカを敵に回し、文字通りのお山の大将となって15年が過ぎた。先のことは分からぬも、その年月に満足している。



こんな自然の施し物・ハナビラタケを見付けたが、そのままにしてきた。本日はこの辺で。
 


 
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     ’21年「秋」(17)

2021年09月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 秋は天気が安定して、大きな青空が広がるような気がするが、「女心と秋の空」などという言葉があるように、実際は天気は変りやすいようだ。事実、台風14号の後たった二日晴れただけで、きょうは天も心変わりしてしまった。
 実は、などと軽口をたたいている状況ではない。一昨日、用事が出来て11日ぶりに里に下り、昨日の朝上にくれば、小黒川の林道へ通ずるテキサスゲート手前で牛の落とし物を発見。明らかに牛が脱柵した証拠である。
 それから、湿地帯にいたホルスの33番を牧区内に戻し、脱柵箇所及び見逃していた2箇所の沢を越す牧柵を強化するのに昼過ぎまでかかり、戻ってくれば囲いのゲートが落ちて外に出た2頭が中に戻れないでいる。そればかりか、5頭の鹿まで囚われの身となっている。
 鹿などっどうでもいいが、外に出た牛を戻そうと通常の出入りに使うゲートを開け、ようやく1頭を中に戻すも、もう1頭は諦めた。
 そして、その帰り、対面する第2牧区に牛の姿がないので牧区内の高台へ行ってみると、何と遠くの第2検査場にホルスの白黒模様が幾つも見える。あそこまでは行かないようにと前日、新たに牧柵を設けたばかりだったのに慌てて駆けつければ、ホルスばかりか和牛まで全頭がそこにいた。
 新たな牧柵を作る際に、第2と第3の牧区を区切る牧柵のうちの何本かの支柱、及び有刺鉄線を使いまわしている。急いでそこを封じなければと、苦労して設置した牧柵を解体していたところへ、牧守の焦りを知らぬ牛の群れが戻ってきた。
 後は、もうどうすることもできない。牛たちは様子も分からないまま面倒なことを嫌い、自由に第3牧区へと出ていってしまい、最早万事休す。その時、ちょうど畜産課長から電話が入り状況を伝えるも、すぐには救援しかねるとの返事。堪えにこらえていた諸々の不満が、ついに爆発した。結局、売り言葉に買い言葉のような応酬になり、牛はそのまま放置することになってしまった。
 とは言え、やはりそんなわけにもいかず、さらに孤軍奮闘。弁天様の少し先にある第4牧区のゲート付近において散々に牛との追駆けっこを繰り広げ、大半の牛を取り敢えず中間検査前に牛たちがいた第4牧区内へ戻すことができた。しかし、まだ今日に至るも5頭は残留したまま、そして下からは何の連絡もない。
 以上が昨日ここで起きたことのおよその顛末。さて、今後どうなるか、下牧まで残り1週間。

 かんとさん、Ssanのご子息さん、通信有難く落手しました。「迷惑」など全くございませんでした。本日はこの辺で。
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     ’21年「秋」(16)

2021年09月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 15日から18日まで4日間忙しい日が続いた。第1牧区から第2牧区へ牛を移動するための突貫工事を行い、18日、第2検査場へと通ずる牛道を封鎖して、その日の夕方には不安を抱えながらも牛たちを第2牧区へ移した。
 この牧区は牧柵が渓を跨ぐといった複雑な地形に張られていて、すべての牧柵を一人で修復することなど資材もなければ、時間もないために諦めざるを得ず、放牧が長期に及べば脱柵の可能性も考えられるような不充分なことしかできなかった。そのせいだけではなかったが、急斜面にバズーカを使って新しく牧柵を張り終えた後も、いつもの達成感は湧かず、むしろ虚しさの方が大きかった。
 案じていた通り、第1牧区の一番低い場所、「どん底」を定位置にしてしまった3頭の和牛は残留していた。この3頭は中間検査時に入牧した牛で、他の牛たちとは一切行動をともにせず、給塩はこちらから出向くしかなかったような世話の焼ける相手だった。29日の下牧までにはもう余裕もないが、調教を続けるしかないだろう。



 焚火というのはトロトロと燃やすものだとばかり思っていたら、昨夜はそうではなかった。軽トラに積んできた太い白樺やイチイの丸太を惜しげもなく燃やし、火は一晩中燃え続け、今も燃えている。
 猟師から習ったというその丸太の積み方、曰く「薪積み」は、組むのではなく、ただ同一方向に並べ重ねるだけである。ところが、丸太はどれも湿っていたにもかかわらずこれが実によく燃えて驚いた。
 4人の中で焚火守をした人について、クマとも格闘・抱擁したことのある古来稀なる年齢を越えた女傑だと言えば、この辺りでなら分かる人は分かるだろう。面識はあったが、キャンプに来たのは初めてだった。オソレイリマシタ。
 
 昨夜はご希望によりまた望遠鏡を出した。木星とその衛星を見て、次に土星に変え、今まで使用してなかった最高倍率のレンズでも見ることができた。望遠鏡の性能を再評価でき、それは良かったが、同時に極軸望遠鏡の取り扱い方をきちんと習わなければいけないことも痛感した。赤道義が対象の惑星を自動追尾してくれても、初期設定がいい加減ではそれを生かせない。

 Ume氏の空撮写真をようやく掲載するに相応しい天気になった。お楽しみに。本日はこの辺で。


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     ’21年「秋」(15)

2021年09月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 台風14号の影響だろう、今一つスッキリとしない朝が来た。
 
 一昨日、TDS君が牧に来て、牧柵の修理にまで力を貸してくれた。有難かった。別の牧区へ行って、古い支柱を引っこ抜き、有刺鉄線を回収し、それらを第2牧区で使いまわしにするとは知らず、そうした作業の大変さに驚いていた。
 それはともかく、その際、きっと興味を持つだろうと、毎日新聞の9月14日付けの鹿に関する記事を持って来てくれた。「シカの分布域拡大止まらず」だ。
 そのリードでは鹿の生息数が減少に転じたとか、「プロハンター」の制度にも触れたり、さらには鹿との「共存のヒントになりそうな研究成果まで出ている」というので急いで読み、しかし落胆した。
 その記事の最後、屋久島の一部でヤクシカが50年捕獲されずに来たのに、個体数が減少しているという事実を取り上げ、自然界での調整機能に注目する。アメリカの国立公園ではこの機能を利用した管理「ナチュラルレギュレーション」により「個体数管理をしているケース」を紹介している。そして、いつものように有識者・北大教授もその可能性を認め、「期待を寄せている」と記事を締めくくっていた。
 記者がどの程度野生鹿の生態について詳しいのかは分からないが、これだけの記事を書くにはそれだけの準備もしただろう。しかし、この記事にあるような、個体数を「自然のメカニズム」に任せて、さらには鹿と共存する、などということが近い将来にできるとは思えない。
 ブラックバスが増え過ぎて一時期問題になり、しかしその後、限られた環境においてはそういう個体数調整が行われたということは聞いている。屋久島の一地方のヤクシカの例も、同じかも知れない。
 
 森林生態学が専門の学者が、野生動物に興味を持つことは不思議でも何でもない。女性記者が、野生鹿との共存に関心を持つのも分からないことではない。きっと、野生鹿に対する優しい思いを込めて書かれた記事だろう。しかし、実態からはあまりにも遠い。
 確かに「共存」、いい言葉だ。であるが、わが国の野生鹿対策おいては、こんな悠長なことなど言ってはいられない。きょうも大型の雄鹿2頭がダケカンバの林に通ずるいつもの草地で、30頭くらいの雌鹿を従えているところを見た。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
 

 

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     ’21年「秋」(14)

2021年09月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 池の平を過ぎた所で昨日、ツタウルシが紅葉し始めているのを目にした。東部支所に用事が出来て行く途中のことだったが、この色付きかけた葉の色がさらに赤く染まる日もそう遠くはないだろう。
帰りに、ツタウルシの紅葉が一番見事な焼合わせでも速度を落とし、注意して見てみたら、ボツボツと色付きかけた葉が目に付いた。今に、ここら一帯の落葉松の林が燃えるような赤色に染まり、待ちにまった秋は一段と深まる。

 第1牧区の牧草が大分乏しくなってきた。牧守の目で見た場合には、どうしても悲観的になりやすいと思い下から人を呼んでどう思うか聞いてみた。昨日の畜産課長の見立てもそれほど変わらず、残り2週間はかなり厳しいということになった。
 牧草の豊かな牧区はまだあるにしても、これから移動するには人出がいるだけでなく、鹿に荒らされた牧柵を直さなければならない。特にアルミ線の電気牧柵は悲惨この上ない。二人で検討した結果、第1牧区の下にある第2牧区へ落とすしかないという結論になった。
 昨日、雨の中を一巡してみたら、この牧区も2,3㍍ぐらい毎に有刺鉄線が切れている。(9月15日記)



 昨夜は7時少し過ぎに寝て、そのまま朝の4時まで一度も目が覚めなかった。それでもなかなか起き出せず、1時間ばかり布団の中にいたのは疲労が取り切れていないからだろう。
 昨日から第2牧区の牧柵補修を始めた。「こんな所へは牛は来ないだろう、イヤ、ここへは来るかも知れない」、そんな自問をずっとし続けながら、前日下見しておいた中のどうしても必要な場所の2箇所、数百㍍だけを何とか終えた。支柱も結束用の針金も、さらに肝心の有刺鉄線も足りないから、取り敢えず用のない牧区から持ってくるしかない。
 第2牧区内にはYの字のように2方向からの流れが一か所に集まり、初の沢となって山室の谷へと流れ落ちていく。牧柵を修理しながらその流れの音を聞き、川辺に咲くノコンギクや見覚えのある名の知らぬ秋の草花を目にし、片時の快感を味わう。そしてこんな「小さな秋」の代名詞とも言えるヌメリカラマツタケの株を見付けたりもする。
 牧柵の補修を嫌い・厭うわけではない。一人だけで、誰も知らない場所で黙々と仕事を続けていればこそ、こうした渓のせせらぎの音や、自然の移ろいを伝えてくれる野草などが、この労働から得られる一番有難い、貴重な対価であると思えてくる。労働の中で識る自然、その生気、キノコは見るだけにしておいた。
 本日はこの辺で。
 
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