昨夜はいつ寝たのだろうか、外はまだ暗い。このごろは6時間ほど寝てから目が覚めることがある。7時間くらいは寝たような気がするからと起きるのに迷いながら、台所からゴソゴソとする物音に耳をそばだてている。
何という名前だったか、まだ思い出せない。そして、ようやくその名を思い出すまでには幾つかの草花が頭の中をよぎった。タラの芽の葉、と断定するにはまだ少し自信がないが、思い出したかったのはこの名前に間違いがない。
昨日、雨に濡れているこのタラの芽、取り敢えずそうしておく、の写真を2枚撮った。そして、そのうちのより痛んで、老いぼれて見える方をここに選んだ。生気を失いつつある植物の葉を「老いぼれて」というのは適切かどうかわからないが、そんな言葉を思い付くままにして訂正しないでおく。ただ、なぜより老いぼれた方を選んだのかということになると、説明するのはかなり厄介なことになる。
こんな朝まだきに、衰退していく生命を弄ぶことには抵抗もあるのだが、強いて言えば、この葉の名前を即座に思い出せなかった自分になぞらえてみたかったのだろうと、胸の裡を推測してみるのだが、クク。
少し曲解が過ぎたか。早く朝が来て、第4の牛共をどうしたら一人だけで囲いの中に誘導することができるかとそればかり考えていたつもりなのに、つい、夢の延長を引き摺ってしまったようだ。何しろ、30代だと思って行動していた自分が、いきなり70代に持って行かれた夢だったから、目が覚めた時、まだ混乱が続いていた。
全く現実には記憶のない女性が夢の中に現れて、よく見る夢だがまたしても東京のややこしい鉄道網について、定期券の買い方に無駄があるからと、懇切丁寧な助言をしてもらっていた。その後、夢の中で電車に乗ってその人の教えてくれた通りの乗り方を試してみた。
夢だから仕方ないがまた脈略もなく、突然に、いつの間にか東京の夜の下町を歩いていた。道を間違えたと思い引き返そうとしたら、目の前に別れ道が現れて、さてそれまで自分はどちらの道を歩いてきたのかが分からなくなってしまった。その時にはすでに70歳になっていて、その後、また先述の女性にその時の苦労を聞いてもらっていた、という変哲もない夢だった。
現実に帰って、少し考えてみた。夢の通り、まだ30歳代である自分の方が良かったのか、それとも現在の70歳代が良かったのかと。で、そうやって考えた後で選んだきょうの写真だから、きっともう、さらに40年も時間を遡り、もう一度別の人生を送るだけの体力、気力は、恐らくないのではと思うのだが、はて。
こんなことを言っていても、もし不治の病でも宣告されれば、そんな今の気持ちは簡単に変わるかも知れない。
こんなことを考えるのも健康で、よく働いているからと思うことにした。本日はこの辺で。