昨日、里に帰ってきたら、草ぼうぼうの陋屋が泣いていた。上では牧場ばかりか北原新道、テイ沢まで草刈り機を振り回すのに、わが家ではそれができずにいた。切ない話である。
Ebinademaruさんが折角送ってくれた入笠の星空のワッペンは、民営化した郵便事業の硬直化した制度のため受け取りがかなわなかった。これにも泣いた。官営の体質が民営化しても変わらない、変われないという悪しき例の一つと言える。いくら窓口の応対が改善されても、そういうことを指示・命令する上層部の頭の中が恐らく変わらないのだろう。
こんなことをここで呟くのは本意ではないし、廃村になった芝平の山奥にまで、どうでもいいような宣伝用のDMを雪道によろけながらバイクを走らせ、届けなければならない配達の人のご苦労は見知っている。しかし、郵パックとやらの再配達のやり方、一度ならず困惑している。今のままでは送り主の思いや厚意が甚だしく棄損されてしまう。
対応は全て録音された音声。自分たちの決めた方法を押し付けてくるだけだ。本局にまで出向いたが、結局心づくしの品を受領することができなかった。
コスモスの花を見たいと昨日は、山を下りるに際しわざわざ遠回りして松倉の集落を通ってみた。しかし、毎年目にする、集落を見下ろす見晴らしの良い道路沿いの畑にお目当ての花はなかった。少し下って一か所、バス停の近くで目にした花はその場所が悪く、小雨の中をそのまま通り過ぎ帰ってきた。
コスモスは今朝、山室川に沿って来る途中に「分校館」の前で見ることができた。群になって咲いているのもいいし、2,3本が流れの傍に咲いている風情、その清楚な姿にホットさせられる。それがいい。
小さかったころは、どこにでも咲いているこの花にむしろ反撥さえ感じていた記憶があるから、きっかけはやはりあの本だろう。牧場で働くようになってから、さらにもっと親しみが増した。同じ花でも見る場所によって違う、ということは考えられる。事実、昨日、松倉の集落で目にした花にはあまり感興が湧かなかったのだから。
それも淡白な記憶になりつつあるのが、この花を好きになった理由がもう一つある。すでに以前にも呟いたから繰り返さないが、この花にいかにも相応しいという気がしてる。
それにしても、一体、天はどうなってしまったのだろう。またしても雨。その中を上に来た。今は昼、気温は15度。雨脚は弱まったが、霧が深い。こんな天気では人はもちろん、車1台すら通らない。
落葉松の葉にわずかながら黄の色が染まり始めた。それぞれの木は早くも水の吸い上げを止めたのだろうか。
本日はこの辺で。