Photo by Ume氏
1週間が早くて驚く。週末の「明日は沈黙します」を、もう繰り返す日が来た。ただ、牛の下牧に関しては、第4牧区の草の状況から判断して早く里に帰してやりたいと思うと、下牧の29日は遠かった。
茫然と時間の流れに任せていれば時の経過はやたら早くも、何かを期待して待つとなればやはり時は正確にその早さを守り過ぎていく。そういう当然過ぎることを納得して、詮もない時間問答を自分の裡におさめるのだが、それでもまだ短命に終わるであろう秋が、少しでも長く続いて欲しいという気持ちは打ち消せずにいる。
遠い昔に、夏と冬への思いが醒めてしまってからは、秋という季節への思い入れははますます強まった。春とは違い、やがては滅びの予兆を滲ませはしても、いや、だからこそと言える。
山室川の谷で見掛けた老婆が、小春日和の柔ら日の中で石垣に腰を掛け、日の暖かさと目前の景色の他には一切の関心を見せずに、ただじっと時を過ごしていたあの時の姿が何かを暗示するように目に浮かぶ。
昨日、小入笠の頭まで牛を探しに行ったことはすでに呟いた。その時、併せて電気牧柵の状態も点検していったら、1個所だけアルミ線の緩んだ部分があった。200頭を超えるほどの鹿が入っていたにもかかわらず異常はそれだけで、他はほぼ正常であったのには驚いた。
牛が里に帰ればすぐにも通電を止めて冬対策をすることになる。だから、もうその程度の不良個所などは無視しても問題ないと分かっていても、散々苦労してきた電牧である、やはり気になって行ってきた。
途中で作業を終了した後、折角来たのだからと小入笠の頭まで足を伸ばしたら、昨日はあれほどの数がいた鹿の姿はなく、代わってホルスの1群が薄雲をすり抜けた秋の陽射しを浴びながら、気持ち良さそうに寝そべっていた。
そこから谷を挟んだ正面には、この牛たちがつい数日前までいた第1牧区の草原が見えている。果たして彼女らには、それが分かるのだろうか。塩の奪い合いをしたり、和牛に意地の悪いことをされ、また、雨に打たれた日が多かったはずだが、そんなつらい夜を過ごしたことも含めて、もう記憶には何も残っていないのだろうか。
そんなことを考えてみたくなるほど、牛たちは何の屈託も見せずに大きな体を横にしてモグモグと口を動かしているだけで、束の間の安穏だけが音のない風となってそこには吹いているようだった。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。