入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「夏」(18)

2023年06月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 第1牧区の塩場から、軽トラの警笛を鳴らして合図を送る。やがて牛は反応したのか、「御所平」の方から鳴き声がした。しばらく待つも深い霧の中に姿を現す様子がない。そのままそこに塩と2種の配合飼料をおいてくれば、目敏い鹿の餌になってしまう。声の主の方へこちらから向かうことにした。
 思った通り全頭の和牛が「御所平」の放牧地にいた。声を上げると、一斉にこっちへ向かってきたのを幸い、さらに誘導して塩場まで連れていく。距離にして4乃至500㍍くらいか。まだ10日も経っていないが、和牛はホルスタインと比べればこんなふうに調教がしやすい。

 話は変わるが、富士山へは10回以上登っている。いずれの時も山小屋が営業していない春、初夏、秋、冬で、単独の時もあれば、案内を請われて登ったこともある。
「日本一の山」だから、連れていけと言われれば大体は断ることをしなかった。身重の亡妻をつれていったこともあれば、一人娘の名前も富士山に因んだ名前を付けた。
 霊峰は相変わらず人気が高いようで、悪天の日でさえ日本人ばかりか外人も多くの人が訪れているらしい。5合目の売店や6合目まで行って帰る人も多いようだが、そういう人たちはとにかく富士山に来たということで満足するのだろう。

 そんな山に、登山鉄道構想が持ち上がっているという。驚いた。何でも車やバスで訪れる人があまりに多く、環境にも悪影響を及ぼしているのだとか。登山列車にすれば、人数制限にも繋がるし、そうなれば上高地や黒部ダム、室堂のように通行規制をすることも可能になる。ただし、鉄道構想は5合目までで、それもスバルラインを利用する考えのようだ。
 山梨県知事は前向きのようだが、麓の富士吉田市々長は反対している。理由は、霊峰富士は信仰の山、世界遺産にも登録されていて、登山鉄道は相応しくないのだと。多分、これは表向きの理由で、反対する本当の理由は別にあるだろう。

 と、そういう詮索は止めておくが、以前にも呟いたようにあの山小屋、それと便所、今は知らないが、霊峰富士が泣きはしないかと思ったものだ。
 便所の方は大分改善されたと聞くが、八合五尺辺りに横穴を開け、立派な公営の水洗トイレを設け、しっかりと使用料を取ればいいと、当時は行く度に思った。現在の料金はは200円、300円らしいが、それではとても間に合うまい。
 小屋の方は宿泊経験がないけれど、果たしてこの件も、今は古い登山者の話になってくれてるといいのだが。
 
 本年度の営業案内については下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’23年「夏」(17)

2023年06月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    Photo by Ume氏

 写真の中心よりやや左、上から縦に下りてくる1本の緑の線、その左が「追い上げ坂」になる。撮影時期は5月の末で、まだ草はあまり生えていない。写真では分からないが、かなり広い窪みになっていて、今ここに4頭の和牛がいる。
 左手の上部は急な斜面で、途中から牧柵で仕切られ、写真全体の中段以下は森だか林を省けば、第2牧区を含んだほぼ放牧地と言ってよいだろう。
 
 昨日の朝、明るくなってきたので眠るのを諦めて、追い上げ坂の様子を見にいった。当然牛のこともだが、それよりか草の状況が少し前から気になっていた。
 入牧からわずか1週間しか経っていないというのに、旺盛な食欲によって草はほぼ食べ尽くされ、それも原因したか1頭がまたしても脱柵している。こうなった以上は思い切って、牛をさらに上部の第1牧区へ誘導することにした。
 
 どうせ何頭かのへそ曲がりは残留するだろうと思っていたから、それと脱柵牛を合流させ、追い上げ坂の中段で仕切っていた電牧の上部の草を食べさせれば、それはそれで折角生えた草を無駄にせずに済むと考えた。
 と、こう呟けば事は簡単のように聞こえるが、そうするまでにはかなりの時間と労力が必要になる。いや、少しの経験と知恵も。
 
 まず切られた牧柵の補修、中段の電気牧柵の取り外し、そして牛の誘導、脱柵牛を戻し残留した3頭と合流させる。
 これらのことをするためには追い上げ坂を2往復と半、小屋との往復3回、第1牧区との往復は軽トラでだがやはり3回に及び、早朝から昼近くまでかかった。
 脱柵牛を戻すのは特に厄介で、戻すには柵を開けなければならないが、そうすると他の3頭が出ようとする。それを阻止しつつ、1頭の脱柵牛を中に入れるのである。
 これだけ呟いただけでも疲れが戻った。
 
 雨が降る中、囲いの中の乳牛はそれでも草を食んでいる。今年も見慣れた風景が戻ってきた。5,6頭の牛が、雨を避けるかのようにコナシの木の下にいて動こうともしない。1頭だけ入牧したジャージーもその中にいる。
 この雨に、さてどうしたものかと考えてでもいるのか、まだ動かない。他の牛たちは草を食んでいるのに、固まったままだ。あれで雨をよけているつもりのようだから、滑稽でさえある。
 
 この囲いの中の乳牛に関してはまず心配は要らない。まだ草は充分にあるし、鹿も逃げれない囲い罠だから脱柵も考えられない。
 雨が止むのは夜になるだろう。牛の群れはまだ動かない。笑う。

 本年度の営業案内については下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’23年「夏」(16)

2023年06月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 あと15分で午前4時。今、小鳥の声がした。外はまだ暗い。最近は寝るのが早く、疲れているはずなのに4時間ほどすると目が覚めてしまう。困った習慣が身に付いてしまったものだ。もう目が覚めてから2時間近くが経っている。
 
 昨日の午前中は小屋の周辺の草刈りに励んだ。またその間に、牧場内の落葉松2本を伐り倒し、4㍍と5㍍の長さにしてから皮を剝いて日陰に保管した。乾いたらテイ沢に持ち込み、丸太橋の補修に使うつもりでいる。一応、伐採については市の了解を得た。
 
 午後、信大生が牛の落とし物が欲しいと言ってやって来た。そんな物を何に使うのだと聞けば、近年は飼料に含まれる抗生物質の影響で絶滅危惧種に指定されてしまった彼曰く「かっこいい虫」がいて、その調査のために必要なのだと言う。
 その後小屋に呼びコーヒーを飲みながら話すと、対馬出身のなかなかの好青年だった。和牛を怖がって一人では柵内に入れずにいたのに、また来てもいいかと聞くので名刺を渡し、彼の連絡先も教えて貰った。
 
 そのM君を送る途中で、第2牧区の電気牧柵が鹿にやられているのを見付けた。よく見れば何箇所にも及び支柱も折れている。あの辺りの電圧は9000ボルトはあったから鹿の受けた衝撃も大きく、それなりの報いを受けただろう。
 その修理していたら、今度は草の伸びたのに目が行き、これが漏電の原因になって鹿のアルミ線切断を招いたのかと、急ぎ300㍍ほどの距離の下草刈りをした。それにしても、この電牧を立ち上げたのはついこの間のことのように思っていたが、この時季の草の成長は驚くばかりの早さだ。
 牛、鹿、電牧、草、丸太、次から次へと仕事が増える。一昨日に続き昨日も、万歩計の数字は1万歩を越えた。

 その年齢であまり無理をするなとよく言われる。他に頼める人がいればだが、一人ではそれもできない。仕方ないと思っている。それに、身体の調子も格別気になる点がなく何より有難いことで、山の中での一人暮らしも苦にはならない。明日のことは分からないが、これでいいとしている。

  本年度の営業案内については下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’23年「夏」(15)

2023年06月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雪の法華道は何度となく歩いているが、この時季にこの古道を下るのは2度目、そして登るのは初めてのことであった。
 元芝平の住人だった人を中心に、この歴史の道を歩こうということになって、ついては不案内だからと同行を求められた。この人たちの中には、「法華道を守る会」の会長である遠照寺の松井住職、また故北原師の長女と次女も含み、総勢10人だと出発を前に連絡が来た。
 現在、先日の大雨のために車ではオオダオ(芝平峠)から芝平の集落へ下ることはできず、そのため法華道を下り、途中で一行を迎えることにした。「爺婆の石」もしくはそれより下った「門祉屋敷」辺りを目途にし、「門祉屋敷」まで行けたなら、前から気になっていた芝平発祥の地だと言われているその跡地を確認するつもりでいた。
 
 門祉屋敷には1時間もしないうちに到着した。それで案内板に従い、急な下りを試みることにした。以前にも何度かそれらしきを探してみたが、北原師の言う場所には行きつけなかった。しばらく下ると下方に僅かな平地があり、恐らくはその場所だろうとして遠い時代の山の住人のことを考えた。
 前々から諏訪大社は鹿とは深い関係にあった。祭祀には欠かせなかったし、同社は「鹿食免」という札を発行していて、肉食を禁じられていた時代でもそれを入手すれば鹿肉を食することができたと伝えられている。
 あの場所に住み着いた人たちをそんな故事と結び付けてみたが、今となってはそれを確かめることもできない。

 結局そこで40分くらい待って、10時半ごろに皆を迎えた。思いがけず知った顔が二人もいて、喜んだ。
 途中の法華道はアカマツやクヌギ、ナラなどがつくる緑の中、あくまでも深い静穏が保たれていて快かった。それに至る所に今を盛りと咲くクリンソウが目を癒してくれ、後方の女性たちの声がその度にし、知らなかった季節の古道の魅力を新たにしたものだ。
「門祉屋敷」からは約2時間ほどをかけて御所平峠に着いた。峠では北原師が背負い上げた地蔵に対して松井住職の上げる読経の声を聞きながら、1年前にはその当人も横にはべっていたことを思い出し、懐かしく聞いた。
 そこで昼食と決まり、最終目的地の高座岩は省いて案内人の役を解いてもらった。
 
 爽快な気分で帰ってきたら、何と11頭もの和牛の群れが林道を歩いていた。脱柵である。この後の顛末は省略するが、登山者もいたとしたら人も牛もさぞかし恐ろしい思いをしただろう。

 本年度の営業案内については下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’23年「夏」(14)

2023年06月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 6時頃の電話に起こされ、その後1時間ばかり朝飯前の運動代わりに、キャンプ場の草刈りをした。昨日でBとCは概ね終わっている。
 昔は下から大勢の人が来て、キャンプ場の草刈りや小屋の掃除、布団干しをやったものだが、いつの間にかそういうことはしなくなった。今は農業実習と言う名のもとに4,5人の職員が交代で上がってくるが、梅雨の時季と重なり延期も多く、また農作業の経験の乏しい者もいて、その趣旨は理解しているがまったく当てにはしていない。
 
 そのことはさて措き、JA上伊那という農業協同組合には500人くらいの職員がいた。今は知らないが減っているかも知れない。それでも、非正規の職員も入れればそのくらい、いやもっといるだろう。何しろ8の市町村を束ねている全国でも評価の高い農業協同組合である。
 ところが、農協職員が小屋を訪れるとか、キャンプ場へ家族とやって来るということは、知る限り1名を省きまずない。
 先日は、上伊那森林組合の職員がやってきて1泊していき、普段から山を職場としている人がと驚かされたものだ。

 以前は違った。多くの農協職員が来て肥料撒きに動員されたり、草地改良に駆り出されたりと仕事もした。大酒を飲んだり、焼き肉をしたり、スポーツもした思い出多き牧場だったようだ。
 しかし今はどうか。のんびりと草を食む牛たちの情景、クリンソウが咲いたとか、コナシの花が見事だとか、いまはレンゲツツジがいたる所にオレンジの花を咲かせているということなどを、どれほどの人たちが知っているのだろうか。そもそも、JA上伊那が入笠牧場を経営していることも、その場所が一体どこにあるも知らない人がいるかもしれない。

 世界には王室を擁(いだ)く国があり、わが国にも皇室がある。こういうやんごとなき人々が、国民の暮らしに何程の助けになるかは知らない。それでも、国民の敬愛の対象になっているから今も存続しているのだろう。
 畏れ多くも、牧場をこのような高貴な、と言われている方々と一緒にしては不敬の誹りあるやも知れぬが、敢えて引き合いに出させていただく。
 入笠牧場は、かつては長野県の3大公共牧場の地位にあって、輝かしい存在であったと聞いている。残念ながら、今や牧場はかつての盛況を失せてしまったが、大内山の奥に住まうお方も、国民の寄せる敬愛があってこその存在であろう。何卒JA上伊那の職員各位におかれては、あなたたちの親しみを、あなたたちの牧場の存続のために寄せてもらいたい。

 本年度の営業案内については下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする