★終戦記念日
今日は終戦記念日。英霊に心から哀悼の意を表します。平和を有難うございます。あの1945年8月6日、9日に原子爆弾が落とされその結果戦争は8月15日に終わりました。だから核は正当化されるという考え方は私は嫌いです。世界の中ではまだ戦争をしている国もあります。日本は戦争9条を盾に平和を守ってきました。これを米国が押し付けたから憲法改正だという論理には成り立たない。確かにそうであっても戦争9条は今のままでいい。改憲者は対案をといって来るが対案は必要ないのです。何故ならする必要がないからです。憲法は時代に必要な部分だけを変えていけばいい。コロナの件にしても臨時国会にしても法律無視をしてるようでは改憲など言う資格はないと私は思います。
この時期に靖国神社に参拝の話がよく出てきますが此処ではA級戦犯も祭られています。諸外国の要人が来ても参拝が出来ず実際の処寂しさ、悔しさを表現できないのが残念です。先日の新聞に米国でA級戦犯の処刑の公開記事が掲載されていました。こういう処はさすが民主国家だとは思います。日本は隠蔽、改ざん、償却や残さないようにしていることがありますが次から次にボロが出てきている。それを隠すために改ざんや隠蔽が日常茶飯事となり官僚になる優秀な人材が官僚にならずに海外に流出していっている現状を見ると指導者としては幾分寂しさを感じます。しかし、そういう中で亡くなられた方を無駄にしないためにも戦争は反対です。今新自由主義と言って相手が戦闘の雰囲気があれば先にやつけよう的な物騒なことを言っている人たちが多くなってきましたが日本は今や先進国ではなく対等に世界と渡り合える政治家も少なくなりました。少なくとも首相ともなる方は通訳なしで英語が出来る方を選んで欲しいと思うのは私だけでしょうか。オリンピックの開催についても天皇陛下は「祝う」という言葉を「記念」と置き換えました。このコロナ禍の中では正直することが不可能に近かったのですがメディアもオリンピックを煽りコロナは埋没させていました。しかし、終われば当然出てくる訳ですので実態は報道の通りです。気をつけましょう。
さて、本日は「テスト対策」についてお話をしていきたいと思います。岐阜県の場合高校入試は全県一区になりましたので普通科は今まで校区がありましたが撤廃になりました。そのために多くの生徒が下宿してまでいい高校に受験したと言う方も少なくはありません。ところが中学の中間・期末テストは市町村教育委員の範囲になります。ですから例えば岐阜市の場合英語は東京書籍ですが関市は三省堂という風に違います。教材の変更前は同じでしたがその前はまた違っていました。このように違ってきますと困るのは集団塾です。個別指導塾は何も問題はありません。集団の人の苦労が分かるような気も致しますがそれなりに全力で指導しているのですから大変だと思います。
今日はそういう集団がどうだ、個別がどうだとか言うことは置いておいてテスト勉強をどのようにしているのかということについてお話をしていきたいと思います。
一般的には通常の塾用教材に並行して進めていますがこれは飽くまで積み上げ式方式なのです。積み上げ方式が悪いということではありませんがそれは今日勉強したこと、明日勉強することなどを含めますと今日以前のことは出来るという前提の上に立っているのです。そうしないと前には進まないのですから集団でも個別でも同じです。指導形態が異なるだけでどちらがいいか悪いかの判断は二次的なことになります。問題は習熟した過去の問題が出来るかどうかです。集団塾ではクラス分けをしていますが明光義塾長良教室&芥見教室では教材分けをしています。例えば英語が得意な人は難しい問題を、しかし数学が苦手であれば易しい問題をとなります。全体の数字でクラスを分けた場合は得意科目はいいのですが苦手な科目はチンプンカンプンとなります。個別指導にしても教材を統一している塾が多いです。お子さんに聞いてみてください。教材はこの辺にして次にテストまで計画を立ててどう進めていくかが問題になります。得てして欲張りに多く計画を立てますと計画倒れになることは間違いないです。少し足りないかなあ、もう少しrベル上げようかなというのがいいです。本屋で教材を購入するんしてもこの位はやらないとと言って難しい教材を購入してくる。それはそれでもいいのですが少し易しめを買うのがポイントです。兎に角大事なことは1冊やり遂げることなのです。何冊も抱えて積読では意味がありません。得てしてよくできる生徒は問題集は左程抱えていません。しかし、真っ黒に手垢が付くようになるまで使い込んでいます。学校のワークにしかり、塾用教材にしかりです。そしてその上の教材をと思われるのでしたら教室長と相談してください。基本的に教材は少ない方が成績は上がります。但し、何度もやりきるという前提ですからお間違いのないように願います。
テスト前には出来る生徒、遅れている生徒拘わらず学校のワークは3回はやってください。社会などは赤のボールペンで書き込み赤の下敷きで反復練習すればいいです。3回は例えば最初問題が100問あって50問間違ったとすれば2回目はその50問をしてください。また半分の25問間違えたとすればその25問をすれば3回したことになります。次に間違えた処の類似問題に挑戦してください。これは塾用教材が合っていると思います。塾用で同じように3回転してください。理解できない場合は長良教室&芥見教室には教材に対して動画配信していますのでもう一度そこを勉強し尚且つ類似問題を重ねましょう。得意科目は放置し苦手科目ばかりに力の配分が行きますといいようですが大方は失敗します。ですからバランスをきちんととる計画を最初からしてください。苦手が10時間であれば得意科目は3時間でも構わないですが一通りは実施してください。いくら得意だから大丈夫は天狗です。よしんば出来たとしても何処かで躓くはずです。肝心な大学受験の失敗者の声は概ねそういう処です。
従ってテスト前だと言って慌てることはないのです。慌てないといけないところは苦手なところの解決です。此処をどうしていくかです。現在の塾の形態では個別が最適の気がします。集団の場合はある程度成績のできる子を対象としています(最近は少子化でそうとも言えませんが)が巧く先生とコンタクトを取りながら進めていくしかありません。個別の場合に関してもテストで苦手なところをテストでチェックしてそこそこの点なら次へとスルーするようでは困るのですがそこでどう教室長が支持を出すかです。その点atama+は躓いたところをチェックして解決しますから非常に合理的になっています。中学であろうが高校であろうがその辺を教室長と相談してみてください。
凡そ冒頭で改憲のお話を若干しましたが勉強も同じです。必要でないところはやる必要はないのです。べたべたにしてしまうのは苦労が要りますし合理的でないです。勉強の進んでいる子と遅れている子の差は完璧にノートの使い方にあります。中学生で高校生の様な真似をしている方も見えますが100%無理だとは言いませんが効果は薄いです。それはノートの基準が違うのです。ノートに対する考え方がしっかりしている方は中学生でも別に構いませんが皆同じという考え方はありません。勉強の能力差は致し方ない部分もありますが100%に近づける努力、効率は「シンプル」しかないです。指導者もシンプルに話を的確に説明できる方が最高ですがああだこうだとか長々とお話しする講師が見えますがこれはマイナスです。講師の方は真剣そのものなので悪気はないのですが生徒が理解するという大前提を見失っているのです。それが分かる講師、わからない講師によって塾の良しあしが分かるのではないでしょうか。集団ではそういうことは無視されていると思います。個別の良さはそこにあります。
8月に入って22日には岐阜新聞テスト、9月1日前後に期末テスト、5日に全国志望校判定模試、実力テストなど目白押しです。いよいよ後半にかけて実力を試す時期が来ました。
<今日の言葉>
「天才?そんなものは決してない。ただ勉強です。方法です。不断に計画しているということです」
ロダン
心を開いて (Music Video)
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