陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

557.源田実海軍大佐(17)二人の間のただならぬ雰囲気に、出席者は論争の行く末を見守っていた

2016年11月25日 | 源田実海軍大佐
 会議はこの戦闘機の三菱側の設計主務者である堀越二郎(ほりこし・じろう)技師(群馬県藤岡市・東京帝国大学工学部航空学科を首席で卒業・三菱内燃製造入社・欧州と米国派遣・九六式艦上戦闘機を設計・十二試艦上戦闘機(後の零式艦上戦闘機)を設計・技術部第二設計課長・戦後YS-11国産旅客機の設計に参加・新三菱重工業参与・東京大学宇宙航空研究所講師・東大工学博士・防衛大学校教授・日本大学生産工学部教授・従四位・著書「零戦―その誕生と栄光の記録」(講談社文庫)など)の設計内容についての説明で始まり、質疑応答に移った。

 質疑応答が一段落したところで、堀越技師が立ち上がって、次のような質問を行った。

 「計画要求にあるような速力、格闘性、航続力の全てを一様に満たすことは困難だから、重要性の順序について海軍側の考えを伺いたい」。

 テーブルをはさんで丁度柴田少佐の真向かいの席にいた堀越技師は、病み上がりの姿も痛々しく、緊張した時の癖である、目を忙しくしばたたせながらの発言は、そのまま技術者たちの苦悩を現わしていた。

 その堀越技師の質問に対し、まず立ち上がったのは源田実少佐だった。源田少佐は、前回と同様に、中国大陸での実戦の様子とそれに基づく戦訓について、手ぶりを交えながら強い口調で語り、列席者の関心を充分に引き付けた後、結論を言った。

 「……というわけで、戦闘機、特に単座戦闘機にあっては、敵戦闘機にまさる空戦性能を第一に要求する。そのために速力や航続力が多少、減ったとしても止むを得ない」。

 この源田少佐の意見に、横須賀航空隊側委員をはじめ、ほとんどの出席者が同調するムードに傾きかけた。

 その時、「意義あり!」の声と共に憤然として立ち上がったのは、航空技術廠実験部の柴田武雄少佐だった。柴田少佐は、次の様に源田少佐に対する反論を述べた。

 「源田君は、空戦性能を第一にしろ、と主張しているが、日本の戦闘機の格闘性は、諸外国の戦闘機に比べて今のままでも強すぎる位だから、ことさらそれを強調する必要などない」

 「それなのに、空戦性能を強要すれば、堀越技師が言うように、今度の計画に盛り込まれている色々な要求を満たすことはできない」

 「戦訓でも明らかなように、敵戦闘機による我が攻撃機の被害は予想以上に大きい。これを援護するには、一部に言われているような双発の複座あるいは多座戦闘機では、航続性能では要求が満たされるかも知れないが、空戦性能で敵の単座戦闘機にかなわないから、どうしても単座戦闘機でなければならない」

 「従って、本機に大航続力は絶対欠かすことはできない。速度についても、逃げる敵機をつかまえて格闘戦に引き込むには、一ノットでも早い方がよく、速度も不可欠の要素だ」

 「いかに技量優秀、攻撃精神旺盛な操縦者といえども、その飛行機に与えられた性能以上にはどうにもならない速度や航続力、特に航続力を優先し、空戦性能は訓練によって劣勢をカバーできる程度の強さでよろしい」。

 この柴田少佐の整然とした反論は、当然ながら源田少佐にとって面白くなかった。今度は、源田少佐が、やや興奮気味に立ち上がって、次の様に応じた。

 「只今の柴田君の発言は、もってのほかである。速度や航続力を重視するあまり、空戦性能を低下させてもよい、などとは絶対に承服しかねる」。

 あとは、源田少佐の持論を、とうとうと展開し、終わると椅子が壊れるのではないかと思われるほどの勢いで座った。二人の間のただならぬ雰囲気に、出席者は論争の行く末を見守っていた。すると再び、柴田少佐が立ち上がり、次の様に述べた。

 「自分は空戦性能が弱くてもいいと言っているのではない。我が国の戦闘機が外国の戦闘機に比べて空戦性能が強すぎるから、それを少し減らして、強い程度にとどめ、その分を速度や航続力の向上にまわせと言っているのだ」。

 この柴田少佐見に対して、すかさず、源田少佐が立ち上がって、次の様に応酬した。

 「空戦性能が強過ぎるとか、強いとかいうのは、極めて曖昧な表現だ。柴田、貴様は何を持って、その判断の基準にしようとするのか」

 「もちろん、速度も航続力も大きいに超したことはない。しかし、これ等の全てのバランスの最後の部分において、やはり空戦性能を優先すべきことを横空としては要求する」。

 あとから考えれば、明らかに柴田少佐の主張の方が正しいことが分かるのだが、源田少佐にしても、メンツがあるから、この場に及んでは、たとえそれを理解したとしても、認めて引き下がるわけにはいかなかった。

 このような場合、誰かが数段高い視点から判断を下すしかないが、源田少佐、柴田少佐ともに戦闘機に関しては第一人者であり、その上、個性も自信も人一倍の、この二人を納得させることのできる戦闘機操縦畑の先輩がいなかった。