陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

584.桂太郎陸軍大将(4)桂こそ近代日本最大の国難、日露戦争を成功裏に処理した最高的功労者

2017年06月02日 | 桂太郎陸軍大将
 【宇野俊一(うの・しゅんいち)】昭和三年十二月二十日生まれ。香川県出身。東京大学文学部国史学科卒業。千葉大学教授。千葉大学名誉教授。歴史学者。平成二十四年七月二十六日死去。享年八十四歳。

 著書は、「日本の歴史26・日清・日露」(小学館・昭和51年)、「明治国家の軌跡」(梓出出版・平成6年)、「桂太郎(人物叢書)」(吉川弘文館・平成18年)、「明治立憲体制と日清・日露」(岩田出版・平成24年)など。

 「桂太郎(人物叢書)」(宇野俊一・吉川弘文館・平成18年)の「はしがき」で著者の宇野俊一は、次の様に述べている(一部抜粋)。

 桂は、大きな頭と、ふとった体躯にふっくらとした顔付から、俊敏という外見はなく、いつもニコニコと笑顔で接し、肩をポンと叩いて親しみを表現することから「ニコポン」宰相とあだなされた。

 確かに、その外貌や対人スタンスは柔和で円満そうであったが、ドイツを範型とする明治陸軍を確立し、陸軍大臣を長く勤め、明治後半期の困難な時代の首相として、三度にわたり政局を運営した人物を、幸運と凡庸という評語で規定することはできない。

 【渡部由輝(わたなべ・よしき)】昭和十六年生まれ。秋田県出身。東京大学工学部卒業。予備校数学教師。教師をしながら、数学関係の参考書・問題集・啓蒙書等の著述に従事。また、戦史も研究、著書もある。

 著書は、「数学は暗記科目である」(原書房・昭和59年)、「数学はやさしい」(原書房・昭和61年)、「コンピュータ時代の入試数学」(桐書房・平成25年)、「数学者が見た二本松戦争」(並木書房・平成23年)、「宰相桂太郎」(光人社NF文庫・平成27年)など多数。

 「宰相桂太郎」(渡部由輝・光人社NF文庫・平成27年)の「はじめに」で著者の渡部由輝は、次の様に述べている(一部抜粋)。

 国家の最高指導者としてその“辛勝”を主導したという一事だけをもってしても、桂の功績は大きい。その意味では、近代日本における最高的功労者といってもおかしくないのではないか。

 にもかかわらず、今日、桂の評価はあまりかんばしいものではない。「ニコポン首相」が通り名になっている。元老たちに媚へつらい、阿諛追従的態度で接したりして権力の座に昇りつめた二流的人物ということである。

 だが、そのていどの小人物に史上最長期間、しかも近代史上もっとも重要な時期に、国家のかじ取りを託すほど、日本民族はおめでたい人種なのだろうか。桂にそれだけの器量があったということではないのか。

 さらに、「宰相桂太郎」(渡部由輝・光人社NF文庫・平成27年)の「あとがき」で著者の渡部由輝は、次の様に述べている。

 今日、わが国のあるレベル以上の知識人で、桂太郎の名を知らない人はまずいないでしょう。近代日本史関係の著作物には、山県有朋率いる軍閥族や藩閥族の一員、さらに日露戦争時の首相として、必ず登場します。

 ただし、それ以上のこと、桂がその山県閥の一構成分子としていかなる活動を行なったのか、日露戦争の遂行にあたりどのような役割を果たしたのかまで知悉している日本人も、あまりいないのではないでしょうか。

 せいぜい「“ニコポン首相”ていどの認識ではないかと思われます。幇間的態度で元老たちを懐柔したりして政界や軍界を遊泳し、首相の座まで登りつめた“二流的人物”ということです。

 実をいうと、数年前まで私もそうでした。桂に対するそういった認識が改めさせられたのはあるきっかけからでした。

 先般、私は「数学者が見た二本松戦争(並木書房)を上梓しました。そのさい、戊辰東北戦争という“無用の戦争”の早期終結にあたり、桂が重要な役割を果たしていることを知り、あらためてその事績を調べているうち、桂こそ近代日本最大の国難といえる日露戦争を成功裏に処理するにさいしての、最高的功労者としておかしくないとの結論に至り、本稿の誕生となった次第なのです。

 【小林道彦(こばやし・みちひこ)】昭和三十一年生まれ。埼玉県出身。中央大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。京都大学博士(法学)。北九州市立大学法学部教授。同大学基盤教育センター教授。専門は日本政治外交史。歴史学者、政治学者。

 著書は、「日本の大陸政策1895―1914」(南窓社・平成8年)、「桂太郎―予が生命は政治である」(ミネルヴァ書房・平成18年)、「児玉源太郎―そこから旅順は見えるか」(ミネルヴァ書房・平成24年)など多数。