陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

739.野村吉三郎海軍大将(39)今後十年もたった後には、貴国もアメリカと同じ側に立ってドイツと闘わなければならない

2020年05月22日 | 野村吉三郎海軍大将
 これに対してルーズベルト大統領は、強い口調で、石油の禁輸の断行を次のように強くほのめかしたのである。

 「従来、世論は日本に対して石油を禁輸せよと強く主張してきたが、自分は日本に石油をあたえることは太平洋平和の為に必要であると説明して今までやってきたのである」

 「ところが、日本が今日のように仏印に進駐し、さらに南方に進もうとするような形勢になっては、自分は従来の根拠を失い、もはや太平洋を平和的にしようすることができなくなってくる」

 「そしてアメリカが錫、ゴムのごとき必要品を入手することが困難になってくる。その上他のエリアの安全が脅かされて、フィリピンも危険となってくる。これでは、せっかく苦心して石油の対日輸出を継続していても何にもならない」

 「今はすでに多少時期遅れの感があるが、もし日本が仏印から撤兵して各国が仏印の中立を保証し、あたかもスイスの如くした上で、自由に公平に仏印の物資を入手するような方法ありとせば、自分は尽力を惜しまない。また日本の物資の入手には自分も極めて同情を持っている」

 「ヒトラーは世界征服を企て、欧州の次にはアメリカ……と、停止するところがないであろう。今後十年もたった後には、貴国もアメリカと同じ側に立ってドイツと闘わなければならないということもありえよう」。

 駐米全権大使・野村吉三郎大将は次のように強く反論した。

 「日本は決してやむを得ざる場合の他は、武力を用いるものではない。日本の武力を用いる場合は、その理由は破邪顕正の剣をふるうのであって、日本人には“大国といえども戦いを好めば国滅ぶ”ということわざがあって、その兵を用いるのは万策尽きてやむを得ざる場合に限っている」。

 駐米全権大使・野村吉三郎大将を若いときからの友人として扱っていたルーズベルト大統領が、独ソ開戦以後、俄然強気の表情を見せ始めたのであった。

 この第三次会見後、アメリカは日本資金の凍結を行い、日本は南部仏印進駐を開始した。八月一日、アメリカは日本に対して、石油輸出禁止等の経済制裁を発動したのである。

 昭和十六年十月十八日、東条英機陸軍大将が内閣総理大臣に就任、戦争開戦のための軍事政権であると、アメリカは受け止めた。

 昭和十六年十一月二十六日(日本時間・二十七日)、アメリカ側の最後通告ともいえる「ハル・ノート」が駐米全権大使・野村吉三郎大将に手交された。

 その内容は、アメリカの日本に対する提案であるが、これを日本政府が受諾すれば、内紛により東條内閣が倒れる位の重大なものであった。

 これを受け取った日本政府は、「これは、アメリカからの宣戦布告である」と憤激し、アメリカ、イギリス、オランダ等連合国を相手とする太平洋戦争に突入すること決定する。

 十一月二十七日午後二時半(日本時間・二十八日午前四時半)、ルーズベルト大統領と駐米全権大使・野村吉三郎大将の第九次会見(最後の会見)がホワイト・ハウスで行われた。来栖三郎特命大使とハル国務長官も同席した。

 駐米全権大使・野村吉三郎大将が、ルーズベルト大統領のすすめた煙草をとると、ルーズベルト大統領は自らマッチをすって火を差し出した。

 ところが、駐米全権大使・野村吉三郎大将は隻眼が不自由で、マッチの火と煙草の先端とがなかなか接触しなかった。

 そこで、ルーズベルト大統領は、笑いながら、もう一度手を伸ばして火をつけさせるというような、和やかな雰囲気も見られたという。

 本論に入ると、最初にルーズベルト大統領は次のように切り出した。

 「前大戦には日米両国は連合国側に立ったが、その当時ドイツは他国の心理を把握する事が出来なかった」

 「現在日本には平和を愛好し、種々尽力する人々のあることは欣快とするところである。アメリカの国民の多数もまた然りである。自分は今でも日米両国が平和的妥協に達することについて大きな希望を持っている」。