陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

195.東條英機陸軍大将(15)おい、津野田。戦争の何たるかを知らぬ貴様ら若い将校が、何を言うか!

2009年12月18日 | 東條英機陸軍大将
 さらに、東條首相はこれからの統帥についても次の様に語った。

 「つまらん情報よりも、将来の施策・作戦はどうすべきか、といった点が最重点でなければならない。今まではどうも少佐くらいがやる統帥事務に引きずられていたようだ」

 四月六日、東京市内で雑炊食堂が新設されつつあったので、閣議後のこの日の午後に雑炊を供した。ところが、東條首相は次の様に言った。

 「雑炊も結構だが、閣議後の食事は十分ご馳走をして閣僚が楽しみに集まり、和やかに懇談できるように心掛ける方がよりいいのだ」。

 東條首相がゴミ箱のふたを開けて歩いたという話がある。それは批判の対象になったりしており、有名な話である。東條首相は人の好き嫌いが激しく、人間的に嫌っていたという軍人の一人に山下奉文陸軍大将(陸士一八・陸大二八恩賜)がいる。

 その山下大将が新聞記者に語ったという、次の言葉は注目に値する。

 「そんなチッポケなことは、それ、あのゴミ箱を開けている男に聞きたまえ」

 これは、二人の将軍の関係をよく語っているエピソードだ。

 ところが、実はそれが山下大将のいうような「チッポケなこと」ではなかったと、東條首相の秘書官・赤松大佐は次の様に強調している。

 「ゴミ箱を見てまわったことについては、一部から強い非難などがあったが、その際に東條さんが言ったことは、報告によると魚はこれこれ、野菜はこれこれ配給されているはずだが、事実はその通りになっておらないようである」

 「これらに対する不平の声も耳にするので、真に報告通りなら魚の骨も野菜の芯などもゴミ箱に捨てられてあるはずだと、この目で確認したいと思ったからである、と言った」

 さらに東條首相は、赤松秘書官に「私がそうすることによって配給担当者も注意し、さらに努力してくれると思ったからである。それにお上におかせられても、末端の国民の生活について大変心配しておられたからであった」と語った。

 「秘録東條英機暗殺計画」(津野田忠重・河出文庫)によると、大本営参謀、津野田知重陸軍少佐(陸士五〇次席・陸大五六次席)は、昭和十九年、東條英機暗殺を計画した。

 だが、三笠宮の心の動揺により、暗殺計画が憲兵隊に洩れ、津野田少佐は昭和二十年三月二十四日、陸軍衛戍刑務所に収監され、免官、位階勲等一切剥奪の上、禁錮二年(執行猶予付き)の刑を言い渡された。

 昭和十五年、津野田知重中尉は、歩兵第一連隊出身の将校たちが集まる会「歩一会」に出席した。会には当時中将で、航空総監の東條英機を初め、軍務局長・武藤章少将、軍務課長・佐藤賢了大佐ら、将星が綺羅星のごとく並んでいた。

 この席上で、津野田中尉は、武藤軍務局長と激論を闘わせた。帝国陸軍において、一介の中尉が少将の軍務局長に噛み付くことなど、当時は考えられず、上官侮辱罪に問われても仕方がないほどであった。

 だが津野田中尉は、思うことをズバズバ言った。「軍人は、政治に関与すべからず」というのが、父と同様に津野田中尉の信念だった。

 津野田中尉の父、津野田是重(陸士六・陸大一四恩賜)は、乃木大将を崇拝し、フランス大使館付武官を勤め、フランス語にも堪能な優秀な軍人だった。だが、四十九歳で陸軍少将に昇進した後、程なく、予備役に編入された。

 津野田是重は「軍人は政治に関与すべからず」を信条としていた。そんな津野田是重は、当時の参謀総長・上原勇作元帥との軋轢で、少将で首になったと言われている。

 「歩一会」の席上、津野田中尉が武藤軍務局長と言い争いになったのも、この「軍人は政治に関与すべからず」が原因だった。

 津野田中尉は武藤軍務局長の盃に酒を注ぎながら次の様に言った。

 「閣下、私たち若い連中が支那大陸において、生命を賭して戦っているのに、軍のお偉方は政治に関与されてばかりいて、戦争の何たるかを弁えておられません。実際、けしからんことじゃありませんか」。

 武藤軍務局長は飲みかけていた盃を置くと、きっとなって津野田中尉を見据えて言った。

 「おい、津野田。戦争の何たるかを知らぬ貴様ら若い将校が、何を言うか! 貴様は頭がいいというから、若い将校を代表して、天皇陛下の御前で、戦局に対する意見を述べたらどうだ」

 津野田中尉も負けてはいなかった。

 「申し上げましょう。閣下から天皇陛下の御前に出られるように、取り計らって下さい」。

 すると武藤軍務局長は

 「何を言うか。そんなことが、一軍務局長の身でできるはずがなかろう」と言った。

 これに応じて津野田中尉は

 「では、軽々しく口には、なさらんでください」と応酬した。

 これを聞いて武藤軍務局長は

 「生意気なことを言うな!」と怒鳴った。

 売り言葉に買い言葉で、二人は激論を交わした。