「海軍中将・大西瀧治郎」(光人社NF文庫)によると、緒戦の航空撃滅戦に武勲をたてた第十一航空艦隊参謀長の大西少将は昭和17年3月、海軍航空本部総務部長に栄転した。
その年の5月、国策研究会が、大西少将の歓迎会を兼ねて、大西少将の話を聞く会が開かれた。出席者は朝野の名士や陸海軍の将星多数であった。
主賓の大西少将は、開会劈頭、すくっと立ち上がると、明快な口調で言った。
「上は内閣総理大臣、海軍大臣、陸軍大臣、企画院総裁、その他もろもろの長と称する人々は単なる書類ブローカーに過ぎない」
「こういう人たちは百害あって一利なし、すみやかに戦争指導の局面から消えてもらいたい。それから戦艦は即刻たたきこわして、その材料で空軍をつくってもらいたい。海軍は空軍となるべきである」
それだけ言ってのけると、大西中将は悠然と腰を下ろして、シラケ切った一座を見回し、その反応を確かめるように、唇に薄い笑いを浮かべた。
大西少将の航空至上、戦艦無用論は、昔からの持論だった。
「特攻の思想 大西瀧治郎伝」(文藝春秋)によると、昭和18年11月大西中将は軍需省航空兵器総局総務局長に就任した。
陸海軍が兵器の取り合いをする中、海軍は陸軍に負けない大物を航空兵器総局に送り込んだ。陸軍が送り込んだのは遠藤三郎陸軍中将である。
ところが大西中将は長官の椅子をさっさと遠藤中将にゆずり、自分は下位の総務局長になった。
そして遠藤中将に大西中将は言った。「航空機の配分は、遠藤さん、あなたがいいように配分してくださいよ。海軍のバカドモは海軍の飛行機をたくさん作ってくれれば海軍はやる、なんて言っているが、海軍だろうと、陸軍だろうと空は空ですよ。半々でいいじゃないですか。海軍大臣が率いるのを第一航空部隊」
あとをひきとって遠藤中将が言った。「陸軍のを第二航空部隊としますか」「それでいいハズです」遠藤中将は同調した。
遠藤中将はこれを文書にして陸軍部内にばらまいた。ところが、早速、東條首相に呼びつけられて「余計な意見をいうな」と叱られた。
遠藤中将は癪に障ったので、富永次官や秦彦三郎参謀次長に噛み付いた。
すると秦次長は「君はああいう文章を、敵側に出すとはなにごとか」と怒った。
そこで遠藤中将は「君はアメリカと戦争しているのか、日本の海軍と戦っているのか」と尋ねた。それほど日本の陸海軍はひどい対立だった。
ところが、大西中将は陸軍がどうの、海軍がどうのと、一度も口にしたことが無かったという。
昭和19年7月22日、軍需省航空兵器総局総務局長の大西中将は米内光政海軍大臣の官邸を訪ねた。
大西中将は大きな巻紙と太い筆を持ってきた。それを米内海軍大臣の前で広げると、筆にたっぷり墨をふくませて「海軍再建」と巻紙一杯に書いた。
その年の5月、国策研究会が、大西少将の歓迎会を兼ねて、大西少将の話を聞く会が開かれた。出席者は朝野の名士や陸海軍の将星多数であった。
主賓の大西少将は、開会劈頭、すくっと立ち上がると、明快な口調で言った。
「上は内閣総理大臣、海軍大臣、陸軍大臣、企画院総裁、その他もろもろの長と称する人々は単なる書類ブローカーに過ぎない」
「こういう人たちは百害あって一利なし、すみやかに戦争指導の局面から消えてもらいたい。それから戦艦は即刻たたきこわして、その材料で空軍をつくってもらいたい。海軍は空軍となるべきである」
それだけ言ってのけると、大西中将は悠然と腰を下ろして、シラケ切った一座を見回し、その反応を確かめるように、唇に薄い笑いを浮かべた。
大西少将の航空至上、戦艦無用論は、昔からの持論だった。
「特攻の思想 大西瀧治郎伝」(文藝春秋)によると、昭和18年11月大西中将は軍需省航空兵器総局総務局長に就任した。
陸海軍が兵器の取り合いをする中、海軍は陸軍に負けない大物を航空兵器総局に送り込んだ。陸軍が送り込んだのは遠藤三郎陸軍中将である。
ところが大西中将は長官の椅子をさっさと遠藤中将にゆずり、自分は下位の総務局長になった。
そして遠藤中将に大西中将は言った。「航空機の配分は、遠藤さん、あなたがいいように配分してくださいよ。海軍のバカドモは海軍の飛行機をたくさん作ってくれれば海軍はやる、なんて言っているが、海軍だろうと、陸軍だろうと空は空ですよ。半々でいいじゃないですか。海軍大臣が率いるのを第一航空部隊」
あとをひきとって遠藤中将が言った。「陸軍のを第二航空部隊としますか」「それでいいハズです」遠藤中将は同調した。
遠藤中将はこれを文書にして陸軍部内にばらまいた。ところが、早速、東條首相に呼びつけられて「余計な意見をいうな」と叱られた。
遠藤中将は癪に障ったので、富永次官や秦彦三郎参謀次長に噛み付いた。
すると秦次長は「君はああいう文章を、敵側に出すとはなにごとか」と怒った。
そこで遠藤中将は「君はアメリカと戦争しているのか、日本の海軍と戦っているのか」と尋ねた。それほど日本の陸海軍はひどい対立だった。
ところが、大西中将は陸軍がどうの、海軍がどうのと、一度も口にしたことが無かったという。
昭和19年7月22日、軍需省航空兵器総局総務局長の大西中将は米内光政海軍大臣の官邸を訪ねた。
大西中将は大きな巻紙と太い筆を持ってきた。それを米内海軍大臣の前で広げると、筆にたっぷり墨をふくませて「海軍再建」と巻紙一杯に書いた。