相沢少佐は、昭和六年青森歩兵第五連隊大隊長。昭和七年歩兵第一七連隊附。昭和八年歩兵中佐、福山歩兵第四一連隊附。相沢三郎中佐は皇道派の将校で、剣道四段、銃剣道の達人でもあった。
昭和十年七月十九日、陸軍省軍務局長・永田鉄山少将に面会した相沢三郎中佐は突然、永田少将に辞職を迫った。「叛乱」(立野信之・ぺりかん社)によると、その時の二人の対談が次の様に記されている。
局長室で永田少将が引見すると、相沢中佐は突っ立ったまま田舎者の愚直な鄭重さで、義弟の浜野井少佐が世話になった礼を述べた。仙台訛りがひどく聞き取りにくかった。
「ハマノエ?」。永田少将は、はじめ誰のことか思い当らなかったが、それが慶応大学配属将校の浜野井少佐のことだと分ると、別に取り立てて世話をした覚えもなかったので、「ああ、いや……」と、あいまいに肯き返した。
相沢中佐は、儀礼的な挨拶がすむと、改まって次の様に言った。
「閣下、自分は本日、陸軍大臣ならびに軍務局長閣下に辞職を勧告に参りました。自分は、ただそれだけの用事で、福山から出てきたのであります」。
相変わらず不動の姿勢で、突っ立ったままだった。くぼんだ眼は大きく見開いて、ピカッと薄気味の悪い光をおびていた。狂信者によくある眼である。
「まあ、何か……立ったままでは固苦しくていかんから、お掛けなさい」。永田少将は椅子を差し出した。
「失礼します」。相沢中佐はしゃちこ張った礼をして、傍らの椅子へ腰をおろした。相沢中佐は、腰かけても、状態をまっすぐにのばし、まじろぎもせずに永田少将を見つめている。
「どういう理由で、陸軍大臣と私が辞職をしなければならんのですか」。永田少将はキョトンとした顔を相沢中佐に向けて、相変わらずものやわらかな態度できいた。永田少将も相沢中佐に負けないくらい色が黒かった。
「理由を申し上げます」と、相沢中佐は切り出して、「最近の皇軍は実に憂うべき状態にあります」と言って次のような内容を永田少将に論じた(要旨)。
「天皇機関説問題を徹底的にやり尊王絶対主義を皇軍に叩き込まなければならない。機関説とは何だと農民に教えてやらねばならない。日清戦争のとき明治天皇は幼年学校に対して天皇絶対の思想をお諭しになった。石原大佐が満州で活躍したのも、この幼年学校の影響だ」
「私も郷里仙台で石原大佐が民衆指導に尽力されているのに感激した。今の士官学校教育は徹底していない。軍人の堕落は士官学校教育が悪い。しかるに軍当局は、腐敗した政府や外部の旧勢力と結託して皇軍を紊乱させている」
「そのいい例が、真崎教育総監更迭問題だ。なぜ真崎総監を勇退させたか。真崎閣下は至誠尽忠の人だ。陸軍大臣閣下は軍の統制だという。真崎閣下を無理やり勇退させるのが軍の統制なのか。皇軍を腐敗堕落させる元を大臣自ら作っている。それゆえ、陸軍大臣ならびに大臣補佐の地位にある閣下の辞職を勧告する」。
以上が相沢中佐の話の要旨だが、その理論はあっちへ飛び、こっちに飛び、棒を置きならべたようで、その間に何の脈路もないようでいて、不思議に一貫した強い意志的なものが感じられた。
だが、相沢中佐の理屈は、皇道派の連中が口にしたり、怪文書に書いたりしている理論を、舌足らずに述べているだけだった。いささか滑稽でもあった。
永田少将は相沢中佐の話が終わったのを見て、さとすように、「君の忠告は有難いが……、自分も誠心誠意大臣を補佐しているんです。決していい加減な気持ちでやっているんじゃない……君の御意見は、大臣に伝えるが、しかし、大臣がそれを聞き入れられるかどうかわからない」と言った。
「それでは伺いますが、真崎総監は、なぜ勇退させられたのでありますか」。相沢中佐は永田少将からキラリと眼を離さないで言った。
「さあ、それは今ここでは言えない。新聞に理由みたいなものが出ていたが、もちろんあれが全てではない。ただ僕がここで言えることは……人事は理性をもって行い、情で行うべきものでないということです。それが僕がここで言える総てです」と永田少将はいくぶん迷惑そうに答えた。
「情とは、わたくしの情でありますか……それでは真崎総監は、大臣や閣下の私情をもって追われたのでありますか」と相沢中佐は生真面目な顔で聞き返した。
「私情ではない…だから僕は、人事は情では行わない、と言ったはずだ」。永田少将の顔にはイライラした表情が浮かんだ。もう話は分かったから、いい加減に打ち切りたいという態度がありありと見えた。
昭和十年七月十九日、陸軍省軍務局長・永田鉄山少将に面会した相沢三郎中佐は突然、永田少将に辞職を迫った。「叛乱」(立野信之・ぺりかん社)によると、その時の二人の対談が次の様に記されている。
局長室で永田少将が引見すると、相沢中佐は突っ立ったまま田舎者の愚直な鄭重さで、義弟の浜野井少佐が世話になった礼を述べた。仙台訛りがひどく聞き取りにくかった。
「ハマノエ?」。永田少将は、はじめ誰のことか思い当らなかったが、それが慶応大学配属将校の浜野井少佐のことだと分ると、別に取り立てて世話をした覚えもなかったので、「ああ、いや……」と、あいまいに肯き返した。
相沢中佐は、儀礼的な挨拶がすむと、改まって次の様に言った。
「閣下、自分は本日、陸軍大臣ならびに軍務局長閣下に辞職を勧告に参りました。自分は、ただそれだけの用事で、福山から出てきたのであります」。
相変わらず不動の姿勢で、突っ立ったままだった。くぼんだ眼は大きく見開いて、ピカッと薄気味の悪い光をおびていた。狂信者によくある眼である。
「まあ、何か……立ったままでは固苦しくていかんから、お掛けなさい」。永田少将は椅子を差し出した。
「失礼します」。相沢中佐はしゃちこ張った礼をして、傍らの椅子へ腰をおろした。相沢中佐は、腰かけても、状態をまっすぐにのばし、まじろぎもせずに永田少将を見つめている。
「どういう理由で、陸軍大臣と私が辞職をしなければならんのですか」。永田少将はキョトンとした顔を相沢中佐に向けて、相変わらずものやわらかな態度できいた。永田少将も相沢中佐に負けないくらい色が黒かった。
「理由を申し上げます」と、相沢中佐は切り出して、「最近の皇軍は実に憂うべき状態にあります」と言って次のような内容を永田少将に論じた(要旨)。
「天皇機関説問題を徹底的にやり尊王絶対主義を皇軍に叩き込まなければならない。機関説とは何だと農民に教えてやらねばならない。日清戦争のとき明治天皇は幼年学校に対して天皇絶対の思想をお諭しになった。石原大佐が満州で活躍したのも、この幼年学校の影響だ」
「私も郷里仙台で石原大佐が民衆指導に尽力されているのに感激した。今の士官学校教育は徹底していない。軍人の堕落は士官学校教育が悪い。しかるに軍当局は、腐敗した政府や外部の旧勢力と結託して皇軍を紊乱させている」
「そのいい例が、真崎教育総監更迭問題だ。なぜ真崎総監を勇退させたか。真崎閣下は至誠尽忠の人だ。陸軍大臣閣下は軍の統制だという。真崎閣下を無理やり勇退させるのが軍の統制なのか。皇軍を腐敗堕落させる元を大臣自ら作っている。それゆえ、陸軍大臣ならびに大臣補佐の地位にある閣下の辞職を勧告する」。
以上が相沢中佐の話の要旨だが、その理論はあっちへ飛び、こっちに飛び、棒を置きならべたようで、その間に何の脈路もないようでいて、不思議に一貫した強い意志的なものが感じられた。
だが、相沢中佐の理屈は、皇道派の連中が口にしたり、怪文書に書いたりしている理論を、舌足らずに述べているだけだった。いささか滑稽でもあった。
永田少将は相沢中佐の話が終わったのを見て、さとすように、「君の忠告は有難いが……、自分も誠心誠意大臣を補佐しているんです。決していい加減な気持ちでやっているんじゃない……君の御意見は、大臣に伝えるが、しかし、大臣がそれを聞き入れられるかどうかわからない」と言った。
「それでは伺いますが、真崎総監は、なぜ勇退させられたのでありますか」。相沢中佐は永田少将からキラリと眼を離さないで言った。
「さあ、それは今ここでは言えない。新聞に理由みたいなものが出ていたが、もちろんあれが全てではない。ただ僕がここで言えることは……人事は理性をもって行い、情で行うべきものでないということです。それが僕がここで言える総てです」と永田少将はいくぶん迷惑そうに答えた。
「情とは、わたくしの情でありますか……それでは真崎総監は、大臣や閣下の私情をもって追われたのでありますか」と相沢中佐は生真面目な顔で聞き返した。
「私情ではない…だから僕は、人事は情では行わない、と言ったはずだ」。永田少将の顔にはイライラした表情が浮かんだ。もう話は分かったから、いい加減に打ち切りたいという態度がありありと見えた。