陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

700.梅津美治郎陸軍大将(40)父は参謀総長に就任した時、「また後始末だよ」と私に秘かに洩らした

2019年08月23日 | 梅津美治郎陸軍大将
 同じく東久邇宮稔彦王・大将の十二月二十九日(金)の日記には次の様に記してある(前略)。

 午後三時、梅津参謀総長来たり、昨日私が提示した硫黄島防備の件について、次の様な問答をした。

 梅津「硫黄島の防備が不完全であることはよくわかっているが、いまこれを陸軍の手に移すことは、現在陸軍と海軍の間がうまくいっていないので、海軍の感情を刺激するから、今すぐ実行することはできない」

 私「今、わが本土が危険な状況にあるさい、陸軍とか海軍とかいっている場合ではない。あなたは、わが本土が敵の空襲で全滅してもかまわないというのか」

 梅津「どうも現状においては仕方がない」

 以上が東久邇宮稔彦王・大将の日記の抜粋である。

 昭和二十年八月十五日終戦後、九月二日、参謀総長・梅津美治郎大将は、東京湾上のアメリカの戦艦「ミズーリ」の甲板上で調印された、降伏文書調印式に出席した。

 参謀総長・梅津美治郎大将の長男、梅津美一(うめづ・よしかず・東京帝国大学在学中に学徒出陣・第四期防備専修予備学生・海軍少尉・第九根拠地隊分隊士・終戦・東京裁判で父の副弁護人)の手記によると、次の様に記されている(一部抜粋)。

 父、梅津美治郎の生涯を見ると、三つの重要な節がある。日本の転機とも云うべき時に、いつも責任ある地位に就き、後始末の役をしていることである。いつも責任ある地位に就き、後始末の役をしていることである。

 第一は、昭和十一年二・二六事件後の舞台裏にあって、陸軍次官として後始末の任に当たっていることである。

 第二に、昭和十四年関東軍司令官として、ノモンハン事件後の関東軍と満州国の対ソ連静謐の政策を実行している。

 第三には、昭和十九年敗色濃い大東亜戦争の終末期に参謀総長として作戦の統轄にあたり、あの歴史的調印式に参加している。

 父は参謀総長に就任した時、「また後始末だよ」と私に秘かに洩らした。自分の運命を嘆いていたように感じられた。

 これは丁度、父が着任直後、昭和十九年七月過ぎ、当時久里浜にあった海軍対潜学校で訓練を受けつつあった私を、外出許可の限界であった鎌倉に訪れてくれたときにぽつりと洩らした感懐で、この一言によって、私は、他の人々より一年も前に、「ああ、戦争はもう終わりだな」と気付くもととなった。

 そして、父の参謀総長就任は、少なくとも父としては、あくまで最初から「終戦」が目的で、問題はいかにしてその「終戦」を邦国のために最も無理なく、かつ出来れば有利に導くかが父の参謀総長就任当初からの課題であったろうと思う。

 世上、終戦の御前会議において、阿南陸軍大臣と梅津参謀総長の二人が、最も強硬な戦争継続論者であったといわれるが、この点、「終戦」を予期し、或いはこれをこそ自らの課題としていた筈の父として不可思議なことと思われたので、後日、何気なく問いただしたところ、「バカ、いやしくも全日本陸軍の作戦の総責任者として、もう戦争は出来ません、などという無責任な発言が出来ると思うか」と一笑に附された。

 参謀総長・梅津美治郎大将の長男、梅津美代子氏は、「父の最期」と題して、次の様に述べている(要旨抜粋)。

 父は、三年余りの獄中生活で、徐々に健康を害していたようであった。そして遂に昭和二十三年二月に蔵前の米軍の陸軍病院(旧同愛病院)に入院し、裁判には出られないようになってしまった。

 そして父は、昭和二十三年十二月十七日、同病院で倒れ、危篤状態に陥った。私は知らせを受けて駆け付けたが、危篤状態を脱し、話ができるようになっていた。

 私は、以前から父に話している信仰のことを話した。その後、毎日病院を訪ねて話した。父が最も感銘深く思った言葉は「地上の裁きは決して正しくない。神が正しく裁いてくれる」という言葉であったろう。

 昭和二十三年十二月二十四日、私の誕生日に、スガモプリズンのチャブレン・ウォルシュ神父が病院に来られて、父は洗礼を受けた。

 昭和二十四年一月八日夜半、看護婦から私に、父が亡くなったとの、電話が来た。父の死因は急性肺炎であった。ガンはひどくはなっていなかった。

 病床から「幽窓無暦日」と書いた紙片を発見した。父が母を早く失って、一人で私共を育ててくれたことを私はとても感謝している。

 私共のためによかれと考えて再婚には踏み切れなかった父である。母のない子として躾が不十分になってはいけないと思って細かいことまで気を使って躾をしてくれたと思う。躾は厳しかったが、温かい思いやりのある人であった。

 以上が、梅津美代子氏の回顧談である。

 ちなみに、「幽窓無暦日(ゆうそうむれきじつ)」は、「幽窓に暦日なし。牢獄には時が流れない」という意味である。

(今回で「梅津美治郎陸軍大将」は終わりです。次回からは「野村吉三郎海軍大将」が始まります)