陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

658.山本権兵衛海軍大将(38)山本海相に「そう簡単にはいかない。これは允裁によるものですぞ」と反論した

2018年11月02日 | 山本権兵衛海軍大将
 広瀬勝比古(ひろせ・かつひこ)中佐(大分・広瀬武夫中佐の兄・海兵一〇期・十一番・防護巡洋艦「高砂」砲術長・呉鎮守府参謀・中佐・軍令部第一局局員兼西郷従道元帥副官・装甲巡洋艦「磐手」副長・一等戦艦「三笠」副長・海軍大学校教官・砲艦「大島」艦長・防護巡洋艦「秋津洲」艦長・大佐・防護巡洋艦「浪速」艦長・海軍大学校選科学生・一等戦艦「富士」艦長・巡洋戦艦「筑波」艦長・少将)が、厦門に出張した。

 広瀬中佐は、山本海軍大臣の命を受けており、防護巡洋艦「和泉」、「高千穂」の艦長と打ち合わせを行うためだった。

 途中、広瀬中佐は台北の台湾総督府に寄り、台湾総督・児玉源太郎陸軍中将に、山本海軍大臣の内訓の内容を伝えた。

 これにより、陸軍大臣・桂太郎陸軍大将、陸軍参謀総長・大山巌元帥、台湾総督・児玉源太郎陸軍中将は、いずれも「海軍は厦門(アモイ)を占領する肝だ」と、この内訓を解釈した。

 台湾総督・児玉中将は、参謀次長・寺内正毅(てらうち・まさたけ)中将(山口・戊辰戦争・維新後陸軍少尉・フランス留学・大臣官房副長・大臣秘書官・歩兵大佐・陸軍士官学校長・第一師団参謀長・参謀本部第一局長・少将・男爵・功三級・欧州出張・第三旅団長・教育総監・中将・参謀本部次長・陸軍大臣・大将・子爵・功一級・兼朝鮮総督・伯爵・軍事参事官・元帥・内閣総理大臣・伯爵・従一位・大勲位菊花大綬章・功一級・イギリスバス勲章ナイト・グランド・クロス等)と電報のやり取りをして台湾軍の厦門出兵準備を進めた。

 台湾から厦門への出兵について、明治天皇の允裁(いんさい=許可)が八月二十二日に下り、陸軍大臣・桂大将は、翌二十三日、それを台湾総督・児玉陸軍中将に通報した。

 明治三十三年八月二十四日午前零時三十分ころ、厦門の東本願寺布教所が何者かに焼打ちされた。厦門港内の防護巡洋艦「和泉」、「高千穂」は、直ちに陸戦隊を上陸させた。

 同日、陸軍大臣・桂大将は、台湾総督・児玉中将に「巡洋艦『和泉』艦長ヨリ出兵ノ要求アリ次第、台湾軍ヨリ出兵スベシ」と電命を発した。

 翌二十五日、上野専一厦門領事から、台湾総督・児玉中将の許に、「当地本願寺ノ布教所、暴徒ノタメ放火セラレテ焼失、形勢不穏、ヨッテ『和泉』ノ陸戦隊上陸ス」という電文が届いた。

 台湾総督・児玉中将は、第一旅団の二個大隊を先陣として、厦門に派遣することを決定した。

 第一旅団長は、土屋光春(つちや・みつはる)少将(愛知・大阪陸軍兵学校・軍務局第一軍事課長・歩兵大佐・参謀本部第二局長・少将・歩兵第一七旅団長・台湾守備隊混成第一旅団長・近衛歩兵第一旅団長・中将・第一一師団長・第一四師団長・男爵・第四師団長・大将・男爵・従二位・勲一等旭日大綬章・功二級・ロシア帝国神聖スタニスラス星章第二等勲章)だった。

 八月二十七日、防護巡洋艦「高千穂」艦長から、台湾総督・児玉中将あてに「『和泉』『高千穂』の陸戦隊が上陸したが、在留邦人保護のために出兵を請う」という電報が届いた。

 翌八月二十八日、土屋少将を指揮官とする歩兵二個大隊が、輸送船二隻に分乗して、基隆(キールン)から厦門に向かった。

 台湾総監・児玉中将は、さらに翌日、増兵する予定にして、それを陸軍大臣・桂大将に電報した。

 厦門には、台湾総督府の後藤新平(ごとう・しんぺい)民生長官(岩手・福島洋学校・須賀川医学校・愛知県医学校長兼病院長・内務省衛生局・ドイツ留学・医学博士・内務省衛生局長・臨時陸軍検疫部事務官長・台湾総督府民生長官・南満州鉄道初代総裁・拓殖大学学長・逓信大臣・初代内閣鉄道院総裁・内務大臣・外務大臣・東京市長・内務大臣・東京放送局初代総裁・少年団日本連盟会長・貴族院勅選議員・伯爵・正二位・旭日桐花大綬章・大英帝国勲章一等)が先行していた。

 明治三十三年三月二十八日正午頃、後藤民生長官は、厦門の領事館で上野専一・厦門領事、豊島捨松・福州領事、防護巡洋艦「高千穂」艦長らと協議し、厦門占領の方針を申し合わせた。

 この日、東京では、山縣有朋首相、桂太郎陸相、山本権兵衛海相、青木周蔵外相、大山巌参謀総長が、外相官邸で会議を開いた。

 桂陸相が、厦門出兵までの経過を説明した。ところが、山本権兵衛海相が、強硬に反対し、その理由を次の様に主張した。

 「『和泉』『高千穂』への内訓は、砲台占領を必要とする場合を仮想して、その方法手段を調査研究させたまでのことで、砲台占領を実行しようとするものではない。陸軍の厦門出兵は取り消していただきたい」。

 桂陸相と大山参謀総長は、思いもよらない山本海相の発言に、驚いた。そこで、山本海相に「そう簡単にはいかない。これは允裁によるものですぞ」と反論した。