陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

458.乃木希典陸軍大将(38)これでいいんだ。院長閣下がおっしゃったんだから、これでいいんだ

2015年01月02日 | 乃木希典陸軍大将
 乃木大将の学習院長としての日常は、午前七時三十分には登院し、午後三時の授業の終わるまで退出せず、その間、院務の暇をみては教室を巡視した。

 全寮制を敷いてからは、日常寄宿舎に泊まりきりで、月に二、三度日曜日だけ赤坂の自邸に帰るのみで、それも生徒の門限になっている午後六時には学校に帰るのだった。

 稀に自邸に泊まるのは、翌朝の参内の時間の都合の止むを得ない時に限られ、ほとんど学習院を家とし、好きな煙草・酒もこの時に絶った。

 朝は、毎朝四時から五時の間に起床し、小使いに世話をかけないように静かに自分で寝具の整頓をし、軍服を着け、洗面を終わると、校内を見回りながら、雑草や枯れ枝の刈り取りをしながら一巡し、生徒の起床後は、時々幼年寮に立ち寄り、掃除の仕方、箒の使い方、窓の開け方などを教えた。

 朝夕の食事は青年・中学・幼年の各寮を回って生徒と一緒にし、夜は自習時間の見回りと読書をして、消灯時間の十時には生徒と共に就寝する毎日だった。

 乃木大将は万事実践躬行をもって生徒に臨み、勤勉・質素等、生徒に教えようとすることは、すべて自ら実行し、身をもって範を垂れた。

 片瀬の遊泳、演習見学の際の露営においても生徒と共に起臥し、生徒と剣道の稽古をし、自らも鍛錬した。そして生徒を我が子と思い、熱愛を傾倒したので、生徒は“おじいさま”と呼んで敬慕した。

 明治四十一年四月、皇孫廸迪宮裕仁親王(昭和天皇)の学習院初等科に御降学があった。乃木大将は、裕仁親王の御降学に際し、次の六項目の覚書を初等科主任に命じて作成し、これを全職員に徹底した。

 (一)御健康第一と心得べきこと。(二)御宜しからの御行状と排し奉る時は、之を御矯正申上ぐるに御遠慮あるまじきこと。(三)御成績については、御斟酌然るべかざること。(四)御幼少より御勤勉の御習慣をつけ奉るべきこと。(五)成るべく御質素に御育て申上ぐべきこと。(六)将来、陸海の軍務につかせられるべきにつき、その後指導に注意すること。

 昭和四十六年四月二十日、ご旅行先の松江での記者会見で、昭和天皇は乃木大将について、次のように述べておられる。

 「乃木大将については、私が学習院から帰る途中、乃木大将に会って、その時、乃木大将から“どういう方法で通学していますか”と聞かれたのです」

 「私は漫然と“晴天の日は歩き、雨の日は馬車を使います”と答えた。すると大将は“雨の日も外とうを着て歩いて通うように”と言われ、私はその時、贅沢はいけない、質実剛健というか、質素にしなければいけないと教えられました」。

 裕仁親王(昭和天皇)は、乃木大将を院長閣下と呼んで、尊敬し慕われた。乃木大将が御所にご機嫌伺いに参上した時、側近の者が「乃木大将が拝謁でございます」と申し上げると、裕仁親王は「いや違う。それは乃木大将ではいけない。院長閣下と申し上げなくてはいけない」とたしなめるように言われた。

 乃木大将の教えを忠実に、そしてすぐに、裕仁親王は実行された。乃木大将が初等科生徒に対して訓話をした十四ヶ条の中の一つに「破れた着物をそのまま着ているのは恥だが、そこをつぎして繕って着るのは決して恥ではない。いや恥どころではない」とある。

 御所に帰られると、裕仁親王は「院長閣下が、着物の穴の開いているのを着てはいけないが、つぎの当たったのを着るのはちっとも恥ではない、とおっしゃるから、穴の開いている服につぎを当ててくれ」と、女官に洋服や靴下につぎを当てさせた。

 そして、それをお召しになって、「これでいいんだ。院長閣下がおっしゃったんだから、これでいいんだ」と満足そうにされたという。

 ある日、熱海に避寒をされていた裕仁親王に、乃木大将が早朝に拝謁した時、裕仁親王は火鉢に当たっておられた。

 それを見た乃木大将が、「殿下、お寒いんでございますか。お寒い時は火鉢に当たるより、御運動場に行って駆け出していらっしゃったらいかがですか。御運動場を二、三回お周りになったら暖かくなります」と申し上げた。裕仁親王は、早速火鉢に当たるのをやめられた。

 また、熱海での山遊びの際に、乃木大将が「山へお登りになる時には、駆けてお登りになりますか。それとも山を下る時に、駆けてお下りになりますか」と聞いた。

 裕仁親王が「登る時には駆けて登れないけれども、下りる時には駆けて下ります」と答えられると、乃木大将は「お登りになる時には、いくら駆けて登っても、お怪我はりませんが、下りる時に駆けられると、お怪我をいたします。下りる時はゆっくり下りられた方がよろしい」と教えた。

 また、ある日、裕仁親王が、一日の学業を終えられて退出される際、玄関に立っていた乃木大将の数歩程前に進まれて敬礼をされた。

 乃木大将が「先生に対しては、何時何処ででも、心から御敬礼の誠を尽くされますように」と申し上げると、裕仁親王は、再び敬礼をされた。乃木大将は感激のあまり、目に涙を浮かべたという。