■11月下旬に3泊4日でフィリピンのマニラを取材しました。今回は約4年ぶりの取材です。前回の取材記事は次のブログをご覧ください。
○2014年1月22日:大寒入りの日本から熱帯のフィリピンへ――さぞ暑いかと思いきや(その1)↑
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/1202.html
↑11月28日のマニラ湾の夕日。↑
これまでの経験から、カトリックの国は、クリスマスを祝い始める時期が他の宗教国に比べるとかなり早い傾向があります。筆者がこれまで滞在したことのあるスペインでも10月になると早くもクリスマスの飾りつけが始まります。ラテンアメリカ諸国も同様です。しかし、フィリピンがさらに早く9月から、もう待ちきれなくなり、クリスマスの飾りつけを始めるとのことです。
一説によると、タガログ語では、8月はAgostoと言いますが、9月はSetyembre、10月はOktubre、11月はNobyembre、12月はDisyembreと呼ぶため、最後に「bre」が付くと、12月のクリスマスを連想してしまうため、9月から新年1月上旬までは、お祭り気分になるのだそうです。
今回は11月下旬の訪問でしたので、一体どんな様子になっているのだろうかと、訪問前から興味が湧きました。
↑とはいえ、出発前、日本でもそこかしこにクリスマスの飾り付けが見られる。写真は上野駅構内のXマスツリー。↑
↑成田発13:15のマニラ行きフィリピン航空PR427便。↑
↑エプロンに駐機中のフィリピン航空エアバスA321-200型機(156人乗り、航続距離3040海里、全長37.57m、翼幅34.10m)。↑
↑機内サービスの新聞記事。多摩市職員がズル休みで1400万円ネコババの記事。因果なことに、どうしてもこういう記事に目が向いてしまう。↑
↑途中で一度乱気流に遭遇した時の機内客室の様子。搭乗率は半分程度。↑
↑大マニラ市街地。中央奥に見える高層ビル街はマカテイ地区。マニラ湾の向こうにはスービック。↑
↑成田から約4時間半のフライトの後、午後5時20分マニラの二ノイ・アキノ国際空港に着陸。時差1時間遅れ、気温32度C。↑
↑マニラ空港で翼を休ませているPR427型機。↑
↑Baggage ClaimのXマスの飾り。↑
↑到着ロビーのXマスツリー。↑
↑海岸大通りのイルミネーション。↑
↑ホテルにチェックインしたのは午後6時40分。↑
↑ホテルのロビーのツリー。↑
↑道路分離帯の飾り物。↑
↑マカティ地区のアヤラ商業区に立ち並ぶ高層ビル群。↑
↑高層ビルの40階から見たマカティ地区。↑
↑事務所の中にもXマス飾り。↑
↑高層ビルの袂のユーチェンコ美術館脇のEDSA革命の記念像。EDSA革命とは、1986年2月22日の国軍改革派将校の決起から、マルコス独裁政権の打倒、そして25日のアキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した無血革命のこと。しかし、写真を撮っていると、自動小銃を持ったガードマンに撮影するなと制止された。実弾入りの小銃には逆らえない。↑
↑大規模ショッピングモールの入口のツリー。↑
↑街中を走る装甲車と見まごう現金輸送車。これくらいしないといつ襲撃されるか分からない。↑
↑マニラ湾から毎週、台湾、沖縄へ出発するクルーズ船World Dream号。↑
↑マニラ湾の夕日を見に集まる市民。だが下水臭が鼻を衝く。↑
↑リサール公園にはためく巨大なフィリピン国旗。↑
↑クルーズに出発するWorld Dream号。↑
↑1910年定礎の老舗マニラ・ホテル。↑
↑バイクタクシー。↑
↑自転車タクシー。↑
↑MRT駅舎。↑
↑オフィス職員の昼食時間は2シフト制が一般。↑
↑海事産業庁入口の案内看板。↑
↑レストランの窓からMRTの行き交うのが見える。朝も昼時も夕方も、一般道路は交通ラッシュ。↑
↑11月30日は祝日(ボニファシオ・デイ)だ。この名前は、1863年11月30日に生まれた、フィリピンの革命の父と呼ばれているアンドレス・ボニファシオのことで、スペイン植民地であったフィリピンの独立のために、革命を起こそうとした人物を称える日がこの日。↑
↑夕方のラッシュ・アワーにはタクシーも拾えない。↑
↑庶民の足のジプニー。よほど慣れないと乗りこなせない。↑
↑卵売り屋台。フィリピン人の大好きなアヒルの孵化寸前のゆで卵「バロット」を売っている。1個15ペソ(約35円)。食べるにはちょっぴり勇気が必要だが、結構いける。↑
↑空港を結ぶ高架道路から見たマニラ市街。↑
↑マニラ国際空港内のフィリピン航空案内嬢の皆さん。↑
↑チェックインは11:45、出発は14:50、成田着は20:10予定。↑
↑フィリピンの新聞の一面。ドゥテルテ大統領が力を入れる麻薬組織取締りの写真。我が国と異なり、ショッキングな写真が修正なしで掲載される。↑
↑帰りのフライトPR432便はエアバス340-300型機(254人乗り、航続距離7695海里、全長63.68m、翼幅60.30m)。ほぼ満席だった。↑
↑帰りのフライトは気流が悪く、かなり揺れ続けた。↑
■今回、マニラには7回目の訪問でしたが、最近は来るたびに高層ビルが増え続けており、経済発展が著しいことをうかがわせます。
治安は今一つよくありませんが、陽気な性格は、ラテンアメリカに通じるところがあります。
【ひらく会情報部・海外取材班】
○2014年1月22日:大寒入りの日本から熱帯のフィリピンへ――さぞ暑いかと思いきや(その1)↑
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/1202.html
↑11月28日のマニラ湾の夕日。↑
これまでの経験から、カトリックの国は、クリスマスを祝い始める時期が他の宗教国に比べるとかなり早い傾向があります。筆者がこれまで滞在したことのあるスペインでも10月になると早くもクリスマスの飾りつけが始まります。ラテンアメリカ諸国も同様です。しかし、フィリピンがさらに早く9月から、もう待ちきれなくなり、クリスマスの飾りつけを始めるとのことです。
一説によると、タガログ語では、8月はAgostoと言いますが、9月はSetyembre、10月はOktubre、11月はNobyembre、12月はDisyembreと呼ぶため、最後に「bre」が付くと、12月のクリスマスを連想してしまうため、9月から新年1月上旬までは、お祭り気分になるのだそうです。
今回は11月下旬の訪問でしたので、一体どんな様子になっているのだろうかと、訪問前から興味が湧きました。
↑とはいえ、出発前、日本でもそこかしこにクリスマスの飾り付けが見られる。写真は上野駅構内のXマスツリー。↑
↑成田発13:15のマニラ行きフィリピン航空PR427便。↑
↑エプロンに駐機中のフィリピン航空エアバスA321-200型機(156人乗り、航続距離3040海里、全長37.57m、翼幅34.10m)。↑
↑機内サービスの新聞記事。多摩市職員がズル休みで1400万円ネコババの記事。因果なことに、どうしてもこういう記事に目が向いてしまう。↑
↑途中で一度乱気流に遭遇した時の機内客室の様子。搭乗率は半分程度。↑
↑大マニラ市街地。中央奥に見える高層ビル街はマカテイ地区。マニラ湾の向こうにはスービック。↑
↑成田から約4時間半のフライトの後、午後5時20分マニラの二ノイ・アキノ国際空港に着陸。時差1時間遅れ、気温32度C。↑
↑マニラ空港で翼を休ませているPR427型機。↑
↑Baggage ClaimのXマスの飾り。↑
↑到着ロビーのXマスツリー。↑
↑海岸大通りのイルミネーション。↑
↑ホテルにチェックインしたのは午後6時40分。↑
↑ホテルのロビーのツリー。↑
↑道路分離帯の飾り物。↑
↑マカティ地区のアヤラ商業区に立ち並ぶ高層ビル群。↑
↑高層ビルの40階から見たマカティ地区。↑
↑事務所の中にもXマス飾り。↑
↑高層ビルの袂のユーチェンコ美術館脇のEDSA革命の記念像。EDSA革命とは、1986年2月22日の国軍改革派将校の決起から、マルコス独裁政権の打倒、そして25日のアキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した無血革命のこと。しかし、写真を撮っていると、自動小銃を持ったガードマンに撮影するなと制止された。実弾入りの小銃には逆らえない。↑
↑大規模ショッピングモールの入口のツリー。↑
↑街中を走る装甲車と見まごう現金輸送車。これくらいしないといつ襲撃されるか分からない。↑
↑マニラ湾から毎週、台湾、沖縄へ出発するクルーズ船World Dream号。↑
↑マニラ湾の夕日を見に集まる市民。だが下水臭が鼻を衝く。↑
↑リサール公園にはためく巨大なフィリピン国旗。↑
↑クルーズに出発するWorld Dream号。↑
↑1910年定礎の老舗マニラ・ホテル。↑
↑バイクタクシー。↑
↑自転車タクシー。↑
↑MRT駅舎。↑
↑オフィス職員の昼食時間は2シフト制が一般。↑
↑海事産業庁入口の案内看板。↑
↑レストランの窓からMRTの行き交うのが見える。朝も昼時も夕方も、一般道路は交通ラッシュ。↑
↑11月30日は祝日(ボニファシオ・デイ)だ。この名前は、1863年11月30日に生まれた、フィリピンの革命の父と呼ばれているアンドレス・ボニファシオのことで、スペイン植民地であったフィリピンの独立のために、革命を起こそうとした人物を称える日がこの日。↑
↑夕方のラッシュ・アワーにはタクシーも拾えない。↑
↑庶民の足のジプニー。よほど慣れないと乗りこなせない。↑
↑卵売り屋台。フィリピン人の大好きなアヒルの孵化寸前のゆで卵「バロット」を売っている。1個15ペソ(約35円)。食べるにはちょっぴり勇気が必要だが、結構いける。↑
↑空港を結ぶ高架道路から見たマニラ市街。↑
↑マニラ国際空港内のフィリピン航空案内嬢の皆さん。↑
↑チェックインは11:45、出発は14:50、成田着は20:10予定。↑
↑フィリピンの新聞の一面。ドゥテルテ大統領が力を入れる麻薬組織取締りの写真。我が国と異なり、ショッキングな写真が修正なしで掲載される。↑
↑帰りのフライトPR432便はエアバス340-300型機(254人乗り、航続距離7695海里、全長63.68m、翼幅60.30m)。ほぼ満席だった。↑
↑帰りのフライトは気流が悪く、かなり揺れ続けた。↑
■今回、マニラには7回目の訪問でしたが、最近は来るたびに高層ビルが増え続けており、経済発展が著しいことをうかがわせます。
治安は今一つよくありませんが、陽気な性格は、ラテンアメリカに通じるところがあります。
【ひらく会情報部・海外取材班】