“参院のドン”青木氏引退へ 派閥政治の終焉象徴
5月16日7時56分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100516-00000053-san-pol
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自民党・青木幹雄前参院議員会長 (写真:産経新聞)
自民党の青木幹雄前参院議員会長(75)が、体調不良を理由に夏の参院選島根選挙区(改選数1)への出馬を断念し、政界から引退する意向を固めた。自民党島根県連が15日、明らかにした。10年以上にわたり「参院のドン」として君臨した青木氏の引退は自民党型派閥政治の終焉(しゅうえん)を象徴しており、世代交代はさらに加速しそうだ。
[フォト]激戦予想に、積極的な活動を行っていた青木氏だったが…
県連幹部らによると、青木氏は13日、島根県内でミニ集会中に突然ろれつが回らなくなり、出雲市内の病院に入院、軽い脳梗塞(こうそく)と診断された。青木氏は14日夕、病院で県連幹部に「体力的に参院選を戦う自信がない。残念だけど無理だわな…」と出馬を断念する旨を伝えたという。
15日午前に松江市内で開かれた事務所開きでは、青木氏に代わり、長男で秘書の一彦氏(49)が「これ以上戦い続けることは皆さんにご迷惑をかけることになるので断念した。おわび申し上げたい」と語った。後継候補について一彦氏は「私は何も言う立場にない」と述べたが、県連は一彦氏を擁立する方向で最終調整に入った。
青木氏は、故竹下登元首相の秘書を経て昭和61年に参院初当選、官房長官や参院自民党幹事長などを歴任した。森喜朗元首相の盟友として知られ、小泉純一郎元首相を牽制(けんせい)しながらも支え続け、参院自民党の人事・運営を掌握してきた。
青木氏の出馬断念を受け、谷垣禎一(さだかず)総裁は京都市内で記者団に「残念だ。参院で大きな業績を残した方で今後も力が必要だと思っていた」と述べた。青木氏と親交の深い民主党の輿石東参院議員会長は「党派を超えていろいろやってきたから残念という気持ちはないわけではない。体調という理由であればやむを得ない」。国民新党の亀井静香代表は「青木さんまで一線を退くとなると自民党は大変だな」と述べた。
自民党は70歳を定年にしていたのではなかったか?
地元の婆はどう「ドン」だったのか分からない、
竹下元首相は「根回しの首相」と聞いた時は、なるほどと思った、
同じ山陰人として、なるほどと思ったが、青木さんも根回し上手で動かれたのか?
あまり目立った感じはなかったけれど、
まあ、島根県民はどこへ行ったもあまり目立たない控えめ県民性を特徴とするからね。
舛添氏「青木氏の権力の源泉はポスト配分」
自民党の舛添要一前厚生労働相が今月(4月)25日に出版する「厚生労働省戦記」(中央公論新社)で、「参院のドン」といわれた同党の青木幹雄前参院議員会長を批判していることが20日、わかった。昨年9月の総裁選など節目節目で相談を欠かさない良好な関係を築いてきた青木氏への「決別宣言」とも取られる。
著書では、参院議員への閣僚配分に青木氏が多大な影響力を行使し、「参院における権力の源泉だった」と強調。「青木氏に従っておれば、いかに無能であっても必ず大臣になれるというのが、青木神話を作る大きな要因であった」としている。
また、「総裁選に立候補する者は政策を掲げて戦う。その結果、選出されれば、その候補の政策が党の政策となるのは当然だ」と“ポスト谷垣”を意識した表現もある。
著書は、月刊誌「中央公論」に寄稿した連載を加筆した。
総理は順番って感じを66婆は感じていたけど、それは年功序列の文化?とも思っていたけど、
(国家公務員の天下りも年功序列だったので)
今はもう通用しないから、、、、、ね~
ただ、ご苦労さまでしたと、
細川さんのように、第二の人生を穏やかにお過ごしください。
と。。。。。。。。。。