船越康弘氏の「健康は食と生き方で決まる」と題した講演を聴く機会があった。氏は「わら」という自然食の民宿で有名になった、自然食の料理人。現在は家族でニュージーランドに移住し、自然の中で日本の自然食民宿を営む。
--<食を通して本当の豊かさ、人生の楽しみ方を説いた講演の抜粋>--
日本で治った症例をみたことがない…という脳性髄膜炎と、水頭症のわが子を声かけで治してしまった。
・宇宙の意志は、すべての命を育てたいという愛情であり、人にはできない宿題は存在しない。例えば「病気」という宿題を通して意識の向上があるのだと思えばいい。
・人間は生まれてくるときに、宇宙から「幸せになってこいよ、そのために全力で応援するからな」と言われてこの世に誕生してくる。(多くの臨死体験者のアンケートより)幸せになることこそが、命として存在する唯一絶対の理由なのだ。
・今が一番、ちょうどいいと思いきる。藤場美津路『丁度よい』の詩を引用して、思いをきることの大切さを説く。「丁度よい」そう思うことができれば、悲しみも喜びもなくなる。安堵感にどっぷりと浸って暮らせる。
丁度よい(仏様の言葉)
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
・全力を出し切ってもどうにもならないときは、「天に電話をかけろ」。ただし、自分自身にうそをつかず全力をだしきってどうしてもできないときにだけ、天に電話をかけることができるようになる。船越氏の場合は、電話をかけたときに、天(神)が「ごめん」といったらしい。そのときに解決策がひらめいたという。天が謝ったぐらいだからもうこわいものはなにもないという。
・“重ね煮”というのは、鍋の中に食材を積み上げるとき、陰性の「上昇する力を下に・陽性の下降する力を上に積む」ことで、ちょうど真ん中で陰陽の力が混ざり合う。調和(中庸)を生む料理法。
・「わら」では心の底から感謝し、自然界との交流をするために、食べる野菜に対して輪になって手を繋ぎ声をかける。「天地(あめつち)のおめぐみとこれを作られた方々のご愛念に感謝して料理させていただきます。この食べ物が私たちの体に入って、自他共にお役にたちますように。(鍋に向かって手をあわせる)」
・人間が20分間生存するために食べるマグロ3キレのために→いわし1,000匹が→3億のアミエビが→5兆の動物性プランクトンが犠牲になっている。命を投げ出してくれた食べ物を食べるにあたって、失礼がないように生きる。
・命は食にあり、食は命なり。江戸時代の偉大な観相家水野南北は『食は命なり』という名言を残している。開運の秘訣は食にあり。飲食を慎むこと。
--<食を通して本当の豊かさ、人生の楽しみ方を説いた講演の抜粋>--
日本で治った症例をみたことがない…という脳性髄膜炎と、水頭症のわが子を声かけで治してしまった。
・宇宙の意志は、すべての命を育てたいという愛情であり、人にはできない宿題は存在しない。例えば「病気」という宿題を通して意識の向上があるのだと思えばいい。
・人間は生まれてくるときに、宇宙から「幸せになってこいよ、そのために全力で応援するからな」と言われてこの世に誕生してくる。(多くの臨死体験者のアンケートより)幸せになることこそが、命として存在する唯一絶対の理由なのだ。
・今が一番、ちょうどいいと思いきる。藤場美津路『丁度よい』の詩を引用して、思いをきることの大切さを説く。「丁度よい」そう思うことができれば、悲しみも喜びもなくなる。安堵感にどっぷりと浸って暮らせる。
丁度よい(仏様の言葉)
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
・全力を出し切ってもどうにもならないときは、「天に電話をかけろ」。ただし、自分自身にうそをつかず全力をだしきってどうしてもできないときにだけ、天に電話をかけることができるようになる。船越氏の場合は、電話をかけたときに、天(神)が「ごめん」といったらしい。そのときに解決策がひらめいたという。天が謝ったぐらいだからもうこわいものはなにもないという。
・“重ね煮”というのは、鍋の中に食材を積み上げるとき、陰性の「上昇する力を下に・陽性の下降する力を上に積む」ことで、ちょうど真ん中で陰陽の力が混ざり合う。調和(中庸)を生む料理法。
・「わら」では心の底から感謝し、自然界との交流をするために、食べる野菜に対して輪になって手を繋ぎ声をかける。「天地(あめつち)のおめぐみとこれを作られた方々のご愛念に感謝して料理させていただきます。この食べ物が私たちの体に入って、自他共にお役にたちますように。(鍋に向かって手をあわせる)」
・人間が20分間生存するために食べるマグロ3キレのために→いわし1,000匹が→3億のアミエビが→5兆の動物性プランクトンが犠牲になっている。命を投げ出してくれた食べ物を食べるにあたって、失礼がないように生きる。
・命は食にあり、食は命なり。江戸時代の偉大な観相家水野南北は『食は命なり』という名言を残している。開運の秘訣は食にあり。飲食を慎むこと。