てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

田の下は古墳群

2006-09-08 10:33:19 | ビジネスと社会
 「高島地区の遺跡と古代・中世の山陽道」のテーマに惹かれ、公民館の公開講座をのぞいた。本日の主題もさることながら、話が中井南三反田(備前国府推定地)遺跡に及び、14年前の記憶が蘇った。

 1992年(平成4年)のこと。わが家が長年耕作して来た水田に、警察官舎の建設計画が起きた。これに先駆けて同年4月から県古代吉備文化財センターでは、建設予定地約1,400㎡を発掘調査していたところ、埋没していた5世紀半ばの古墳群(中井南三反田遺跡)が見つかった。

 『地下約1mに眠っていた埋没古墳は、直径、一辺がともに約12.5mの円墳2基、方墳7基。それぞれの周囲には、幅約2m、深さ0.7~1mの溝があり、同遺跡内ではさらに3基の古墳も確認されている。
 溝の中からは、須恵器の甕(かめ)や杯(つき)のほか、人間の臼歯と骨片、鉄器の破片などがそれぞれ数件出土。一族をまとめた有力な家長クラスが埋葬されたとみられる。
 しかし、どの墳墓も上部がほぼ同じ平面で切り取られているため、同センターの桑田俊明文化財保護主査は「奈良時代の国府造営の際、古墳を削り取って他の場所へ盛土する大がかりな土地造成が行われたのではないか」と推測している。
 沖積平野の地下から見つかった古墳は、大阪や九州に数例あるだけ。吉備を代表する大規模な前方後円墳である造山古墳(岡山市新庄下)、作山古墳(総社市三須)などと同時期でもあり、「5世紀の強大な吉備政権を支えた下位勢力を解明する貴重な手掛かり。吉備地方で現在確認されている約2万基の古墳意外に、まだかなりの古墳の存在が予測される」と研究者らの間で話題となっている。』《1992年(平成4年)10月4日付山陽新聞より引用》

 地球を削れば遺跡ぐらいは出るさ。ましてや歴史豊かな当地のことだものと日ごろは高を括っていた。ところがわが田から発掘されたとなれば話は別だ。
 そうとは知らず古墳、しかも備前国府推定地遺跡の上で稲を作り、それを食していたとはいささか心境は複雑だ。この田は水はけが悪く長雨の後は、トラクターを使うのに泣かされたものだ。
 現在、発掘調査は全て完了し、4階建て2棟(48戸)の警察官舎に姿を変えている。


備前国府推定地遺跡から見つかった
円墳、方墳の古墳群=山陽新聞より

現在は警察官舎が建つ(奥棟がわが田のあった所)
コメント (6)
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