てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

坊っちゃん生誕百年

2006-09-23 11:59:07 | 舞台、ライブ
 「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る」

 今年は夏目漱石の小説「坊っちゃん」が誕生から百年になる。奇しくも昨日、ブログご近所mariさんと舞台になった松山の話に及んだばかりだが、今日の山陽新聞のコラム「滴一滴」では、この「坊っちゃん」にまつわる、知られざるエピソードが披露されている。

 私も学生時代にはその舞台となった、ゆかりの地を辿りながら、ストーリーとオーバーラップさせ、「坊っちゃんと漱石」を偲ぶよすがとしたものだ。
・松山赴任にあたり最初に着いた港=現在の三津浜?
・まず落ち着いた宿・山城屋=市内三番町にある城戸屋
・小説中の「毎日住田の温泉へ行くことに極めている…」=道後温泉
・赤シャツに釣りに誘われ船を出したターナー島=三津浜の沖合の四十島
・漱石が教えた松山中学=現松山東高
 今年がメモリアルイヤーであり、色んなサイトで紹介されているので後は割愛。

 小説の中で松山は田舎町の代表として描かれており、松山のことを「不浄の地」など、かなり批判的に記されている。 しかし、漱石と同じ下宿に暮らした正岡子規をはじめ、高浜虚子や中村草田男などの俳人を輩出した 文豪ゆかりの地である。市内の随所には文人たちの足跡が残り、文学散歩に心を遊ばせるにはふさわしい地である。

 直情径行、やたら喧嘩早い坊っちゃんが赤シャツや狸たちの一党を向こうにまわして、山嵐とくり展げる物語は何度読んでも胸がすく。誠に痛快にして明快である。
 松山を離れて36年になるここらあたりで、かつての“十五万石の城下”を再訪し、現代の松山と対比して見るのも一興かな。
 まずは「坊っちゃん」を再読してみよう。少し歳を重ねてから読み返すと、違ったものが見えて面白いかも。
コメント (7)
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