これまで私のブログは「一日一題」をモットーに書き溜めてきた。知る人ぞ知る(知らない人は全く知らない)非常にマイナーのもので、特定の人が見る、自己満足だけの日誌だった。従って、アクセスは少なくてコメントなど滅多になかった。
それが一転、小欄「2006/8/2ブログの縁」で記した通り、“偶然の産物”から段々にブログ仲間の輪が広がり「5人のブログご近所さんたち」にまで発展した。
一等最初の転機として「2006/7/8水見半作」のタイトルにつられて訪問くださった、ひまわりさんのコメントが火付けとなった。
以後は今日まで、少しずつではあるが数珠つなぎに広がりつつある。
↓ひまわりさん
↓エンピロさん
↓mariさん
↓ポコトマトさん
↓kuma-mituさん
人との縁(出会い、結び付き)は、運命を変えることだってある。それ故に誠に味わい深く、実に摩訶不思議なものだ。得てして良き思い出と言うものは『あとからしみじみと想うもの』のようだが、幸いにして私は最中にそのことに気付かされた。
これら絶妙の出会い(出愛)は、神のいたずらか、或いはわれらの魂を成長させるために、神から与えられた試練なのか。否、神の深い思し召しだった。しかも偶然ではなく、“必然”だったのだ。
それが一転、小欄「2006/8/2ブログの縁」で記した通り、“偶然の産物”から段々にブログ仲間の輪が広がり「5人のブログご近所さんたち」にまで発展した。
一等最初の転機として「2006/7/8水見半作」のタイトルにつられて訪問くださった、ひまわりさんのコメントが火付けとなった。
以後は今日まで、少しずつではあるが数珠つなぎに広がりつつある。
↓ひまわりさん
↓エンピロさん
↓mariさん
↓ポコトマトさん
↓kuma-mituさん
人との縁(出会い、結び付き)は、運命を変えることだってある。それ故に誠に味わい深く、実に摩訶不思議なものだ。得てして良き思い出と言うものは『あとからしみじみと想うもの』のようだが、幸いにして私は最中にそのことに気付かされた。
これら絶妙の出会い(出愛)は、神のいたずらか、或いはわれらの魂を成長させるために、神から与えられた試練なのか。否、神の深い思し召しだった。しかも偶然ではなく、“必然”だったのだ。