昨日は岡山S総合病院にS木さんを見舞った序でに、久し振りに奉還町商店街を歩いてみた。商店街の入口近くにあるK佛光堂を通りがかり、家内が生前の親父から聞かされていた話を思い出した。
現在の拙宅の土地は、前所有者フジおばさんがK佛光堂のある場所へ転居する際に譲り受けたという言伝えである。フジさんは小欄「2007/1/12 伝承の意義」にも登場する小生の命の恩人でもある。
そのフジさんは遠い親戚というだけで、どういう間柄の人なのか、また何時頃の話なのか全く分からず、頭の中は???だらけ。
この謎を解くべく、その足で法務局へ立ち寄り、登記簿を閲覧することにした。豈図らんや、既に118年前の1892年(明治25年)には、小生から三代遡る(養夫を迎えた)曽祖母の名義となっており、何処にもフジさんなる名前は出て来ない。
一方、昔から人様が我が家を呼ぶ時には、天神のomotannという風に、いわば屋号の「天神」を冠する。これは祖先が現在の拙宅から200㍍ほど北にある、地鎮洞南西の位置の字名天神に住んでいたことに由来すると聞いている。
いつの時代だったかは知れないが、確かに天神の地にあったには違いない。益々混迷深まるばかりだが、例えそれを突き止めたとしても詮方ないこと。詮索を打ち切ることにした。
明治・大正・昭和・平成の御世を女、男、男、男、女と引き継いで、今また女(家内)と四代六人にわたり守って来た。
現在の拙宅の土地は、前所有者フジおばさんがK佛光堂のある場所へ転居する際に譲り受けたという言伝えである。フジさんは小欄「2007/1/12 伝承の意義」にも登場する小生の命の恩人でもある。
そのフジさんは遠い親戚というだけで、どういう間柄の人なのか、また何時頃の話なのか全く分からず、頭の中は???だらけ。
この謎を解くべく、その足で法務局へ立ち寄り、登記簿を閲覧することにした。豈図らんや、既に118年前の1892年(明治25年)には、小生から三代遡る(養夫を迎えた)曽祖母の名義となっており、何処にもフジさんなる名前は出て来ない。
一方、昔から人様が我が家を呼ぶ時には、天神のomotannという風に、いわば屋号の「天神」を冠する。これは祖先が現在の拙宅から200㍍ほど北にある、地鎮洞南西の位置の字名天神に住んでいたことに由来すると聞いている。
いつの時代だったかは知れないが、確かに天神の地にあったには違いない。益々混迷深まるばかりだが、例えそれを突き止めたとしても詮方ないこと。詮索を打ち切ることにした。
明治・大正・昭和・平成の御世を女、男、男、男、女と引き継いで、今また女(家内)と四代六人にわたり守って来た。