昨日の記事を書くにあたり、アルバムを捲っていて懐かしい1枚の写真を見つけた。とある旅先で俳優下元勉さん(2000年11月29日肺炎のため83歳で死去、当時69歳)と一緒になり、記念写真を撮らせて頂いたもの。片田舎に住む者には滅多にお目にかかれないシーンである。
1986年(昭和61年)9月23日~24日にかけて、当時担当していた岡山県西部地区の若手経営者六人と小生を加えた“七人の侍”で嬉野方面を旅した。
2日間ジャンボタクシーをチャーターし、博多から唐津(虹の松原、唐津城)、伊万里の窯元、嬉野温泉、祐徳稲荷、柳川を観光して回った。
深く心に残ったのは水郷柳川で、しだれ柳は倉敷の美観地区を思わせる。街を流れる川は昔の城の外堀で、1時間少々かけて川下り。近くには壇一雄、オノ・ヨーコなどの生家もある。船上では柳川名物のうなぎに舌鼓。
川下りの後は、北原白秋の生家を訪ねた。偶然にも下元勉さんと一緒になり、当方の不躾なお願いにも拘らず気軽に記念撮影に応じて下さった。
宿泊地嬉野館で宴会の後のこと。例によってお願いしたマッサージさんは、この道40年の大ベテランで60がらみのヒトミさん。「これまでに二階堂進、鈴木健二、西郷輝彦、小松みどり、北島三郎・・・と数知れない有名人を揉んだ。今は亡き夫が5~6年前、クモ膜下出血で倒れた時、自らのマッサージで治した。」など問わず語りで、余程の話し好きの御仁とみえる。

北原白秋の生家にて下元勉さん(中央)と記念撮影

柳川遊覧船

柳川遊覧船上の七人の侍とタクシードライバー
1986年(昭和61年)9月23日~24日にかけて、当時担当していた岡山県西部地区の若手経営者六人と小生を加えた“七人の侍”で嬉野方面を旅した。
2日間ジャンボタクシーをチャーターし、博多から唐津(虹の松原、唐津城)、伊万里の窯元、嬉野温泉、祐徳稲荷、柳川を観光して回った。
深く心に残ったのは水郷柳川で、しだれ柳は倉敷の美観地区を思わせる。街を流れる川は昔の城の外堀で、1時間少々かけて川下り。近くには壇一雄、オノ・ヨーコなどの生家もある。船上では柳川名物のうなぎに舌鼓。
川下りの後は、北原白秋の生家を訪ねた。偶然にも下元勉さんと一緒になり、当方の不躾なお願いにも拘らず気軽に記念撮影に応じて下さった。
宿泊地嬉野館で宴会の後のこと。例によってお願いしたマッサージさんは、この道40年の大ベテランで60がらみのヒトミさん。「これまでに二階堂進、鈴木健二、西郷輝彦、小松みどり、北島三郎・・・と数知れない有名人を揉んだ。今は亡き夫が5~6年前、クモ膜下出血で倒れた時、自らのマッサージで治した。」など問わず語りで、余程の話し好きの御仁とみえる。

北原白秋の生家にて下元勉さん(中央)と記念撮影

柳川遊覧船

柳川遊覧船上の七人の侍とタクシードライバー