愚妻はかつてピアノを師事していたS本先生(くらしき作陽大学の音楽の先生)のお誘いで、結構各地で開催された演奏会に御伴をする幸運に恵まれている。S本先生のお父様が母親と小学校の同級生、お母様が1級下という昔からの馴染みもあり、ピアノレッスンを止めてからも懇意にして頂いている。
最も遠くに足を運び印象に残っているのは、1980年(昭和55年)6月8日に山口で開かれたウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージの演奏会である。当時アシュケナージは43歳、遅蒔きのピアノレッスンを開始して数年目の家内は33歳であった。
当時の世相は、樹木希林・岸本加世子両人によるフジカラー・プリントのCM「それなりに写ります」が流行った頃。
演奏会が開かれた6月8日は、パラリンピック・バンクーバー大会でノルディックスキー距離2冠に輝いた郷土出身の新田佳浩選手の生まれた日でもある。
また、この4日後に、アーウーの大平正芳首相が、よもやの心筋梗塞のため急逝された。
その7年後、1987年(昭和62年)7月24日にはNHK交響楽団の倉敷公演が、ウラディーミル・アシュケナージの長男で初来日のポフカ・アシュケナージを迎えて盛大に開かれた。
この演奏会は、NHK岡山放送局のテレビ放送開始30周年と倉敷市の新市発足20周年を記念して企画されたもの。その模様はNHK衛星第1テレビとFMでも放送され、エアチェックしたテープが父ウラディーミル・アシュケナージのテープと共に音楽ライブラリーに仲良く並んでいる。
<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=861590-1281663829-319-238"></script>若き日のアシュケナージ
<script language="JavaScript" src="http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=861590-1281664046-319-220"></script>アシュケナージ(右から2人目)と一緒に納まるS本先生(左から2人目)
最も遠くに足を運び印象に残っているのは、1980年(昭和55年)6月8日に山口で開かれたウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージの演奏会である。当時アシュケナージは43歳、遅蒔きのピアノレッスンを開始して数年目の家内は33歳であった。
当時の世相は、樹木希林・岸本加世子両人によるフジカラー・プリントのCM「それなりに写ります」が流行った頃。
演奏会が開かれた6月8日は、パラリンピック・バンクーバー大会でノルディックスキー距離2冠に輝いた郷土出身の新田佳浩選手の生まれた日でもある。
また、この4日後に、アーウーの大平正芳首相が、よもやの心筋梗塞のため急逝された。
その7年後、1987年(昭和62年)7月24日にはNHK交響楽団の倉敷公演が、ウラディーミル・アシュケナージの長男で初来日のポフカ・アシュケナージを迎えて盛大に開かれた。
この演奏会は、NHK岡山放送局のテレビ放送開始30周年と倉敷市の新市発足20周年を記念して企画されたもの。その模様はNHK衛星第1テレビとFMでも放送され、エアチェックしたテープが父ウラディーミル・アシュケナージのテープと共に音楽ライブラリーに仲良く並んでいる。

