てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

伊予のひと

2006-09-26 20:30:06 | ホビー
 過日、大学時代に所属していた写真部OB会のホームページが開設された。その一角にOB会員と現役部員のための「投稿ギャラリー」コーナーがあるので、自慢の逸品を投稿するべく昔のネガを引っ張り出して、数枚をデジタル化した。

 その中の思い出の1枚がこれ。入部して初めての学外展に出したうちの1枚である。この写真は偶然の産物で、写真のモチーフを求めて城山を散策していて、どこかの団体が撮影会を催していたのを横合いから失礼して撮ったもの。

 初にしてはシチュエーションといい、モデル、服装(伊予絣)ともにすべてが見事にマッチしていた。カメラさえ持っていれば誰でも物にできた写真だ。 が、私の処女作ということもあり、思い入れの作品で、未だにパネルは部屋に掲げてある。
 さて、モデルの彼女は一面識もない方だが、当時、松山三越で開催した写真展に来られ、この作品を大層気に入っていたとも聞く。後から聞いたことなので、ご本人に届けず仕舞でいる。今頃何処で、どうしておられるやら。不図そんなことも思い出した。

   
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記者の目

2006-09-26 10:49:05 | パソコンとインターネット
 24日付の小欄で「日暮れて道遠し」の記事を書きましたが、26日付山陽新聞では、同じニュースが別のアングルから報じられました。
 ご参考までに新聞記者の目でご覧ください。

   
   9月26日付山陽新聞岡山市民版より
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汝の敵を愛せよ

2006-09-25 10:48:02 | ビジネスと社会
 またまた夢の話。他人の夢と夫婦喧嘩は犬も食わぬので書かぬ積もりでいましたが、夢は心を映す鏡といいながら、自分のことは存外分からぬものなので、第三者に夢判断を仰ぎたいとの思いで、もう一度だけ書きます。どうか聞き流さないで、適切なる分析とご教授をお願いします。

 私が会社を辞めた直接の理由は、ある人と悉くソリが合わず、価値観を全く異にすることにあった。夢の中で、そのある人のJr.を部下に頂くことになった。
 このJr.は親とは似ても似つかず、温厚篤実な性格で、仕事に専心して非の打ち所がない。加えて端整にして精悍なマスクで、歌舞伎役者にでもしたいほどの美男子。
 にもかかわらず他の人のケアレスミスが誘引となって、仕事上のトラブルに巻き込まれ「指を詰めろ」の大事に至った。私は「君の責任ではない。親から授けられた大切な身体を絶対に傷つけてはならぬ」と、別の解決策を一緒になって探ろうと説得するのだが、Jr.は裾をめくって脛の傷や足の小指の無いのを見せて「これが今までの名誉傷。かくなる上は手の小指の1本位…」と頑なに譲らない。
 困り果てた私は親父との関係を吐露し、「親を泣かせる気か!」といってやっと思い留まらせた。どうにか別の形で落とし前をつけてハッピーエンドとなる。

 自分なりにこの夢を顧みるに、あれほどまで確執した仲を水に流し、許せという天の啓示なのか? 私はクリスチャンではないが、聖書の有名な言葉に「神を愛せよ→隣人を愛せよ→敵を愛せよ」とある。
 黒人の公民権運動に立ち上がったマルチン・ルーサー・キング牧師は「愛の力」という本の中に次のように書いている。

 『「汝の敵を愛せよ」というキリストの命令は、単なる人間の理想的命令ではなく、私たちが生きてゆくためにはどうしても必要なものだ。敵にさえ向ける愛こそがこの世界の問題を解決するカギだ。憎しみを憎しみで返せば憎しみは増加する。闇は闇を追い出せない。光だけが追い出せる。憎しみは憎しみを追い出せない。愛だけが追い出せる。
 愛は敵を友人に変えることができる唯一の力だ。相手に対する敵意をなくすことで目に見える敵をなくすのだ。憎しみは傷つけ破壊するものだが、愛は創造し建て上げる。愛には贖いの力があり、憎しみを一変させることができる』
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日暮れて道遠し

2006-09-24 20:40:14 | パソコンとインターネット
 私の住む学区には20の町内会がある。その町内会長が一堂に会して「安心、安全ネットワークづくり」について意見交換の場をもった。地域で活躍する民生委員、体協委員、PTA役員、市の関係者にも加わって貰った。

 各町内会とも運営上の共通の問題点は、情報の伝達がスムーズに行かないこと。主因としては核家族化、個人情報の保護、転入世帯の急激な増加などに伴う、コミュニケーション不足が挙げられる。

 かつては向こう三軒両隣が和気藹々とやって来たものだが、最近は近所付き合いがめっきり減った。 卑近な例だが、うちの近所が宅地造成され、この3年足らずで11軒が新築転入してきた。入居に際し、挨拶に見えたのは3軒だが、内2軒は以前からの顔見知りだったので実質1軒のみ。だから未だに住人の顔さえ知らない有様。
 加えて他所から転入者は、町内会には加入しても葬式の時の「講組み」には入らない家が多い。墓が故郷にあったり、菩提寺がほかにあるなどのケース。つまりは定住ではなく仮住まいということ。全くお寒い限りで、これでは胸襟を開いてのお付合いも出来かねる。

 意見交換のあと、既に電子町内会に取り組んでいる中井賞田の2町内会長から、事例発表があった。それによると町内会ホームページの「掲示板」や「伝言板」を通して、情報の伝達、意見交換を密に行っている。また警察署からの「安全情報」や、消費生活相談員協会からの「見守り新鮮情報」の配信が安心・安全な生活の一助となっている。
 付帯意見として「連合町内会で小・中学校の安全安心に関する情報を共有し、速やかに伝達する方法を検討して欲しい」という声が出された。

 電子町内会事業を推進している岡山市市民企画総務課からは、インターネットを活用して「生活に役立つ情報を…」との要望があった。市の財政状況からして「口は出すが、お金は出さない」ことは目に見えている。
 今日参加した町内会のトップリーダーが、電子町内会の果す役割や必要性をどの程度認識したかにかかるが、立ち上げるにしてもサイト管理者や経費面でクリアしなければならない課題がある。日暮れて道遠しの感はまぬがれない。

   

   
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坊っちゃん生誕百年

2006-09-23 11:59:07 | 舞台、ライブ
 「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る」

 今年は夏目漱石の小説「坊っちゃん」が誕生から百年になる。奇しくも昨日、ブログご近所mariさんと舞台になった松山の話に及んだばかりだが、今日の山陽新聞のコラム「滴一滴」では、この「坊っちゃん」にまつわる、知られざるエピソードが披露されている。

 私も学生時代にはその舞台となった、ゆかりの地を辿りながら、ストーリーとオーバーラップさせ、「坊っちゃんと漱石」を偲ぶよすがとしたものだ。
・松山赴任にあたり最初に着いた港=現在の三津浜?
・まず落ち着いた宿・山城屋=市内三番町にある城戸屋
・小説中の「毎日住田の温泉へ行くことに極めている…」=道後温泉
・赤シャツに釣りに誘われ船を出したターナー島=三津浜の沖合の四十島
・漱石が教えた松山中学=現松山東高
 今年がメモリアルイヤーであり、色んなサイトで紹介されているので後は割愛。

 小説の中で松山は田舎町の代表として描かれており、松山のことを「不浄の地」など、かなり批判的に記されている。 しかし、漱石と同じ下宿に暮らした正岡子規をはじめ、高浜虚子や中村草田男などの俳人を輩出した 文豪ゆかりの地である。市内の随所には文人たちの足跡が残り、文学散歩に心を遊ばせるにはふさわしい地である。

 直情径行、やたら喧嘩早い坊っちゃんが赤シャツや狸たちの一党を向こうにまわして、山嵐とくり展げる物語は何度読んでも胸がすく。誠に痛快にして明快である。
 松山を離れて36年になるここらあたりで、かつての“十五万石の城下”を再訪し、現代の松山と対比して見るのも一興かな。
 まずは「坊っちゃん」を再読してみよう。少し歳を重ねてから読み返すと、違ったものが見えて面白いかも。
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