あるときから「縁」というものが大事と思うようになった。人との出会い別れの縁もあれば土地との縁もある。切れたり繋がったり、あったりなかったり、異なものだったり味なものだったり「縁」とは真に不思議なものだ。そう考えると伊東には縁があるのだろう。一番多く旅しているかもしれない。宿では、伊東小涌園とは恐ろしく長い付き合いだ。軽く二ケタは泊まっているだろう。「緑涌(りょくゆう)」という全室が庭園露天風呂付きが別館にできて、平日三万、週末三万五千円という、いかにも「伊豆箱根値段」らしい。申し訳ないが湯布院とか黒川のほうがお得だとわたしは断言する。まあ、九州までの交通費を考えればアニバーサリーなどでの宿泊ならいいかも知れないが。 . . . 本文を読む
(ありゃりゃ、ビールしかないのかよ)メニューを何度みても、ビールしか書いていない。「この店はお酒とか焼酎は置いていないのでしょうか」祈る気持ちで訊いたが、ビールだけだという。がっかり。禁酒明け第一弾のアルコールが苦手で嫌いなビールか・・・。人間ドックを京橋で朝一番で終えるなり八重洲地下街の喫煙スペースで一服いや二服し、お茶のペットボトルとおにぎり一個を地下のコンビニで買うと、一目散といった感じで一気に伊東までやってきたのだ . . . 本文を読む
そういえばその昔に湯河原でみかん狩りをしたことがあった。駅の構内の隅にあったみかん狩りの受付所みたいな処で申し込み、海を見渡す山の斜面にあるみかん畑に他の申込客と一緒に軽トラで連れていかれた。食べ放題でたしか三百円か四百円くらいだったと思う。イチゴとかさくらんぼの食べ放題ならともかく、みかんはキツイ。三個くらい食べてギブアップしてしまった記憶がある . . . 本文を読む
我慢強い猫など当たり前だが金輪際お目にかかったことはない。気まぐれで奔放なのが猫の真骨頂でそこが猫好きにはたまらないのだ。うちの海も、冬など寒ければストーブのど真ん前に陣取る。炬燵に潜り込めばど真ん中で眠り呆ける。人間サマに気をつかうことは毛筋ほどにもない。毛皮が熱を吸収しすぎてノボセあがると、あわてて這い出してきて冷たい畳の上で火照りを冷ましている。炬燵のなかで、暖かさがベストな位置を確保すればいいのにと思うが学習しないのである。というか、そもそも学習しようとも思わないのだろう . . . 本文を読む
たっぷりの掛け湯をしてからゆるゆると身体を沈めていく。おぉー、うぅ・・・と、つい愉悦の声が出てしまう。予定ではなかった流れで泊まることになってしまったが、貸切風呂に入っているいまはそれを思いきり楽しんでいる。わたしがとにもかくにも無病息災でいられるのは、ひたすら温泉の効力、功徳、温泉のおかげと深く信じている。だから、いわゆる温泉が切れる状態になるとそれはもう居ても立っても居られなくなる。早い話が単なる温泉好きの、温泉バカなのだ . . . 本文を読む
熱燗と熱々のポテトで温まりひと息つくと、先ほどみたもうひとつのキャラクターのことを思いだす。そのキャラクターとは「ぐでたま」である。「ぐでぐでとしたやる気のない卵」で、焼いたり茹でたりと調理してもだらしのない性格が変わることはないそうだ。小さな子どもを持つ親ならともかく、わたしはどちらも寡聞にして知らなかった。しかし「一見真面目そうだがジツは『ぐでたま』のような性格のヤツ」ってなんとなく周りにも確かにいるなぁ・・・。あっ、あいつは間違いなく、<ぐでたま>だな。おぉ、彼女もそうだ . . . 本文を読む
眼を覚ますと、部屋の灯をつけて携帯の電源を入れセットしたアラームを解除した。またもやアラームが鳴る前に目覚めてしまった。身づくろいするとタオルを持ち大浴場に向かう。昨日、女風呂だった浴室に入ると灯の電源を入れてから鍵をかける。貸切風呂なのである。温泉宿で徐々に広がっているサービスに貸切風呂の無料提供がある。この宿でも宿泊客は一回だけ貸切風呂を借りられる。わたしは遠慮して利用が少なそうな早朝を予約した . . . 本文を読む
12月は「酒と饂飩の日々」だったが、1月の昼は「蕎麦の日々」が続く。毎年恒例の禁酒期間である。血圧によろしい、シメに打粉も溶けだした蕎麦湯もいただける<ざる蕎麦>とかがメインである。まあ、昼でもとにかく寒いので力とかカレーとかタヌキなど汁系の蕎麦もところどころにはいる。今月、ハマってしまったのが<きす天蕎麦>だ。天ぷら二つを丼の蕎麦の上に載せて、ひとつをゆっくり味わう。鱚(きす)の旬は初夏から夏だが、からりと揚げられた<きす>の身は淡白だが品があり、飽きさせない味である。値段がわたしの昼メシにしては贅沢なのでせいぜい週に一回くらいを限度にしている . . . 本文を読む