戸塚を流れる、もとは暴れ川と呼ばれた「柏尾川」である。度重なる治水工事で氾濫の心配もなくなって、水質が改善されるとともに魚が多く生息するようになり、それらを狙っていろいろな水鳥たちが集まってくるようになった。アオサギ、白鷺、鴨などはしょっちゅう見かける。たまにカモメもいるのが不思議である。下流の海である相模湾からでも十キロ離れているというのに、そのたくましい飛翔力を使って群れでよく現れるのだ . . . 本文を読む
「あのォ・・・べつに、いきなり『締め』じゃありませんので」席に着くなり焼酎の水割りと焼きうどんを注文したわたしに目を剥いた店長に、つい余計な言い訳をしてしまう。まあ、焼きうどんは口開けの客がいきなり注文するものではないだろう。成田に年に二、三回いくのだがその度に利用している酒場である。開店時間が午後三時からとメッチャ早いのと、料金も安く、飲酒も一人五杯までという量制限が気にいっている。厨房からフライパンで炒める「チャッ、チャッ」という音がひとしきり聞こえてきたと思ったらすぐに運ばれてきた。(うむ。やはり、うどんの舌触りがよい。旨い)炒める火力が違うのだ。「べたべた感」がまったくないのがよろしい . . . 本文を読む
「ヒコサカさん、コショウダイ美味しかった?」カウンターのなかから女将が、わたしが入る前から座っていた常連らしい一人客に訊いた。釣り好きな主人がやっているカウンターだけの呑み屋で、主人や太公望の客たちが釣ってきた飛びきり新鮮な魚を提供してくれる店だ。時折の利用なので顔は覚えられていない。「やたら旨い刺身でしたね。とても鯛とは思えないくらいの味で」常連はツマだけになった皿を持ちあげる。その仕草を横目でみて、黒ムツの刺身を頬張っていたわたしは、ふぅむ、コショウダイは食べたことがないなと思う。というか、こちらにもお勧めしてほしかったな . . . 本文を読む
眼の前の川の浅瀬に白鷺がいた。なんとなしに眺めていると、小魚を狙っているようだ。きっと鷺の食事の時間なのだろう。「ん?」いかん。鷺をみていたら急に腹が減ってきた。やっぱり、今宮神社を出てすぐに見つけた昭和の雰囲気がある喫茶店で食べるべきだったか・・・。株相場の格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」というのがあるが、まさしくそうで、京都でのランチ難民にならないためには覚えておいたほうがいい。あぶり餅を食べた直後だったので、好物の余韻を楽しもうと考え断念してしまったのだ . . . 本文を読む
今宮神社で大好物のあぶり餅ですこぶる元気になったわたしは、まだ行ったことのない上賀茂神社を目指すことにした。一時期京都に通い詰めたおかげで地図は頭に入っているのだ。今宮からだと北東方面、方向さえ間違えなければざっと三十分とかからないだろう。「賀茂川」・・・である。下流でYの字を描くように、東から流れてくる高野川と合流して、下鴨の南の賀茂大橋あたりから名称が馴染ある「鴨川」と変わり祇園四条方面に流れていく。この川を渡れば、たぶんもう目的地のはずだ . . . 本文を読む
今宮神社の紅葉する東門の門前、あぶり餅を売る茶店が参道の両側に一軒ずつある。あぶり餅好きなわたしには見慣れた風景だ。今日は、呼び込みの達者なほうの茶店「かざりや」に決めた。店先で焼いている、持ち切れないほどのあぶり餅がなんとも香ばしい匂いを撒いている。店の奥のほうではわらび餅の串を仕込む職人たちがいる。焼き場の女衆の後ろでは焼きあがった熱々の餅串に白味噌たれをくぐらせている。出来上がったあぶり餅と湯呑茶碗と急須を盆にのせて接客の女衆が席の客に運ぶ。女衆は客の呼び込みもとても達者である。誰もが気持ちいいくらい手際がよい . . . 本文を読む
今年をあきらめ来年こそ京都の紅葉狩りをしたい、一年前に宿も予約しよう。そう決めたらいったいどの辺の日を押さえたらいいのだろうか。そう思う人も多いのではないか。キーワードを教えよう。十一月二十三日(勤労感謝の日)だ。その前後の数日間と覚えておけばいい。最初に京都に紅葉を観にきたときに地元のひとに教えてもらったのだ。それから数十年、この教えがほぼ正確であることをわたしは毎年確認してきた。因みに今日は十一月二十六日の土曜日である . . . 本文を読む
久しぶりの京都駅である。新横浜からはたったふた駅、胴長の静岡の駅をすべてぶっ飛ばして名古屋の次が京都で、二時間ほどの所要時間だ。京都駅は一日平均乗客数で六十七万人というから、トップシーズンである紅葉時期のいまは七、八十万人になるのではないか。あらゆる外国人を含めて恐るべき観光客数であるから、いわゆる「難民」問題が発生する。まずは深刻重大な、「トイレ」難民だ。新幹線のなかでトイレを我慢して下車した人、これからの乗車前にすませようとする人が殺到してありえないほどの長蛇の列ができる。ホント間に合うんだろうかと心配してしまう。経験のあるわたしは朝食代わりのパンを一個食べただけで、水ものは一切とっていない . . . 本文を読む