温泉街を歩くには、やっぱり浴衣に下駄がいい。もちろん冬季にはどてらも着用だ。カラン、コロン、からんころん。日本の正しい<風情>がそこにはあります。楽であり、転地効果も享受できるし、それに絶対、絵になる。手ぶらより、できれば手拭(タオル)や小銭入れなども忘れずに持っていくほうがいい。そうすれば外湯巡りなどにも最適、完璧だ。温泉バトルスーツの浴衣は脱ぎ着が簡単で、次の外湯に移動できる。のぼせたら冷たいラムネや牛乳も飲める。
階段はオッケーだが、坂道の多い温泉地では下駄は注意が必要だ . . . 本文を読む
なんとなんと、もう三日後にはクリスマスではないか。売れ残ったクリスマスケーキの投げ売りが終われば、すぐ今年も終わり初詣が始まってしまう。一年が経つのがとにかく早い。この数年、旅先の名刹、古刹を訪れることも多くなった。温泉ばかり行っている旅だと、いかにも能天気バレバレだから、カモフラージュの意味が大きいのだ。そういえば今年の初めには、飼い猫の病気のために成田山新勝寺で快癒祈願をしたのだった。そのせいかどうか、猫が元気を取り戻し無事また新年を迎えられる。となれば、お礼の参詣をまたしなければいけないな . . . 本文を読む
桜島の頻繁な噴火があるため、鹿児島市内では洗濯ものを外干しすることがなかなかできないそうだ。もちろん布団干しもおなじである。堅牢な家でさえわずかな隙間をみつけて細かな灰は侵入してくるのだ。洗濯もの用の小部屋を用意したり、コイン・ランドリーの乾燥機を使用したりするそうだ。それでも、噴煙のたなびく方向によっては洗濯ものや蒲団に太陽光をたっぷり浴びさせることができたりする . . . 本文を読む
紅葉も終わり、とても温泉が恋しい季節になった。ちょっと熱めの湯にじっくりはいって、身体をゆるりと伸ばしたい。寒いときには、褐色やら乳白色やらの濁り湯がいいな。成分が濃く湯の花もたっぷりなので、いつまでも身体が冷えずにぽかぽかする。ただし濁り湯の露天風呂、とくにごつごつした岩を配した風呂には気をつけねばならない。湯口のそばの、いつもの気に入った位置を目指すとしても決して慌ててはいけない。濁り湯は底が見通せないので、どうかすると、低めの岩に脚をとられたり足先をぶつけたり脛を打ったりとひどく痛い思いをするのだ . . . 本文を読む
麦秋(ばくしゅう)・・・いい言葉だ。小津安二郎の映画にも同名のものがあったな。秋の字が入っているが、ところが秋ではない。初夏である。麦の穂が実って収穫期になる、梅雨が始まる前、「初夏」のころのとても短い季節である。麦にとっての「収穫の『秋』」であるので、名づけられたのだ。富山で初めて麦秋をみて興奮して、狭い路に車を停めると夢中で写真を撮った . . . 本文を読む
あちこちへ旅をして、その土地の名物とかをなるべく食べるようにしている。食は旅の楽しみのひとつであるが、そればかりではない。旅の思い出といえば、土産だったり、写真だったりいろいろあるが、食べた物もその思い出の索引になる。そう、食べ物とその土地の思い出は、不思議としっかりとリンクしているのである . . . 本文を読む
都道府県のなかで九州の二倍の面積を持つ北海道は別格として、四国四県の大きさにほぼ匹敵する面積の岩手、福島についで、長野が全国第四位の面積をもつ県である。だから長野には数限りなく行っているのだが、未踏の地が探せばまだまだある。奥が深いところなのだ。初めて長野を観光で訪れるとき、善光寺の長野市とともに、松本城のある松本はポピュラーな土地だ . . . 本文を読む
ときめきに胸を弾ませるようなことがなくなったとき、ひとは輝きをなくし、代わりに音もなく老いが忍びよる。どんなことでもいいとおもう。わたしのように旅でもいいし、囲碁将棋のような娯楽でも、読書でも機械いじりや食べものでもかまわない。料理、育児でもいいし、もちろん好きな異性でもいい。なに、誰にいう必要もないのだから。心がときめくようなものを持ち続けてほしい。胸を弾ませて、顔が、眼が輝くような、なにかを。ひとつでも . . . 本文を読む
古い木造の驛舎には、どこか人を惹きつけるものがある。この地に住むひとたちは幼いころから、この驛を、この改札を、何度も何度も数限りなく利用して大人になっていったのだ。通学、買い物、旅行、待ち合わせ、雨宿り、父の送り迎え、旅立つひとを送った・・・。そうして、この地を巣立って都会に出て行った人も、機会があればまたこの驛に帰ってくる。驛に降り立って、改札を抜け、駅前広場で振り返る . . . 本文を読む
生意気言うようだが、人間、あくせく働いているばかりが能ではない。たまにはちょっとした贅沢が欲しい。そう思いませんか。さて、ちょっとした「贅沢」だが、 ひとによりその意味が違う。また、「贅沢」の価値観がひとそれぞれ違わなければ、それはそれでまた困る。わたしはいい温泉に入るのが無上の贅沢と考えている、そんな人間である。豪華な食事も豪華な宿もいらない . . . 本文を読む