大阪は言わずと知れた食い倒れの街だ。旨くて安い店でなければ営業が長続きしない凄い街なのだ。いつも呑み倒れのわたしだが、すこしは食い倒れるのもいいかもしれない。難波にとれた宿に夕方くらいにチェックインした。さすがに繁華街で、一方通行がやたら多く宿に辿り着くのも一苦労なら、そこで指示された駐車場にいくのも一苦労だった。(よし、まずは通天閣で串揚げを食べて呑むか) . . . 本文を読む
ここに何泊か滞在したら、日常とはかけ離れたとても特別な時間を過ごせることだろう。携帯は電源を切って、気がかりなことと一緒に鞄のなかに押し込むのだ。舟屋の二階の窓辺で、日がな海をぼんやり見ていたい。一階から漁に出る舟をいつまでも見送って、やがて漁を終えて帰ってくるのをずっと待っていたい。きっと水面を渡ってくる軽やかなエンジン音が帰りを知らせてくれるだろう . . . 本文を読む
宿から平和記念公園は近いので散歩がてら行ってみる。近づくほどに、厳粛な気分になってくる。伊勢神宮とかの神聖な結界にはいったときに感じるのと同質のものだ。現在の平和記念公園のある中島地区・・・昭和二十年八月六日、原子爆弾はこの頭上で炸裂した . . . 本文を読む
おみくじを買っているひとも列ができているが、この厳島神社は「凶」がよく出る神社だと聞いた。正月でも相当な割合ででるのだそうだ。それでも「凶」の字のなかには「メ」の字がはいっているから「メデタイ」と最近では大吉より価値があるんだとか。災い転じて福をなす・・・誰かしらないがよく思いついたものだと感心する . . . 本文を読む
宮島は江戸時代からの呼称で「お宮(厳島神社)のある島」という意味だそうだ。宮島の引き潮の浜は潮干狩りのひとたちでいっぱいだった。大鳥居の辺でもたくさんのひとが群がっている。宮島のシンボルである朱塗りの大鳥居は高さ十六メートル、重量は約六十トンである。恥ずかしながら今回初めて知ったのだが、この大鳥居の根元は海底深く埋められているわけではなく、自分の重みだけで建っているという . . . 本文を読む
開店時間の午前十一時をほんの一、二分過ぎて「みやち」の暖簾をくぐり引き戸を引いて驚いた。早くもすべての席(もっとも十人ほどのだ)が埋まっていたのだ。引き戸を閉めて、並ぶことにした。視線を走らせたが、これから最初の注文をつくるのだろう、まだ誰も食べているひとはいなかった。となれば、十分ほどはかかるだろう。一番で待っているわたしの後ろに続々とひとが列をつくる . . . 本文を読む
日本三景のひとつ、安芸の宮島である。古くからこの島自体が信仰の対象だったという。人口二千人に満たない宮島に、訪れる観光客は年間三百万人を超える。渡るのはこれが三度目だ。機動的な小型のフェリーで、本土側と宮島側がほぼ同時に出発してすれ違う。片道料金が東京の地下鉄の初乗り運賃と同じぐらい、と安い . . . 本文を読む
ゴールディン・ウィークの直前、勤め先の会社に衝撃が走った。監督官庁の抜き打ちの検査がはいることになったからだ。この検査は数年に一回、運が良ければ十年に一回くらいに発生する。検査はかなり厳しいもので、前々回の検査のときは資料の作成・再作成のために早出、深夜残業、休日出勤など、二週間ほど家に帰れなかったほどである。(ああ・・・これで連休はなくなったか)わたしは、観念した
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「さくらさくら温泉」で、いかにもお手軽罰当たりな禊をすませると、かの坂本龍馬夫妻も訪れたという霧島神宮を詣でることにした。慶応二年慶一月二十三日(1866年3月8日)、幕府の京都伏見奉行配下の捕り方が寺田屋を包囲した。それを察知したおりょう(お龍)は風呂から裸で飛び出し、龍馬に危機を知らせ九死に一生を得る。いわゆる寺田屋事件である。
そしておりょうと龍馬は結婚し、薩摩藩の小松帯刀の誘いをうけて、二人は寺田屋事件での傷湯治をかねて薩摩の温泉へ旅をする . . . 本文を読む