咲花(さきはな)・・・温泉とは、読みも字面もなんともいい名前である。もともとここの地名は「先鼻」だったそうで、きっと目と鼻の先に大河、阿賀野川が流れていたところからきていたのだろう。それが、川面に湯の花が咲いているところから「咲花」という地名に改名したそうだ。阿賀野川観光のライン舟下りの終着点としても発展してきた温泉地であるが、開湯は1954年と、まだまだ若い温泉だ . . . 本文を読む
ひさしぶりに赤坂にナンを食べにいってみた。わたしが初めてナンを食べて、ナンが好きになった店に、だ。赤坂見附である。駅を出たところの裏通りを歩く。馴染みだったイタリアンの店の先、ビルの二階に「モティ」はある。「あれれっ・・・」なんだよ、3月11日(金)を以て閉店かよ! 大地震の日じゃないか・・・なにか関係あるのかな。なになに赤坂本店は33年の長きにわたる営業を終了・・・TBS前店を利用してくれ・・・か . . . 本文を読む
長いからこそ曲がりくねった、大きな川はたびたび氾濫する。その氾濫で流域の土壌が肥沃なものとなり、農作物の収穫につながる。古代、だからこそ川の流域に多く文明が栄えたのである。高校のときだったか、世界史の教師にそう教わった。一級河川を目の前にすると、いつも思いだしてしまう。深谷(ふかや)には坂東太郎の異名を持つ一級河川、利根川が流れている。だからその流域は肥沃な土壌となり、野菜栽培に適しているのだ。深谷名物数々あれど、まずは「深谷葱」だろう
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昨年、WEBサライにデビューしたときに密かに決めたことがある。一年間、週二回、欠かさず発信しようということ、をだ。これがやってみるとけっこうハードであった。わたしの記事は、たいてい、あるていど長さを決めている。字数で、千二百文字くらいを目標に書いていて、だいたい四百字詰め原稿用紙で三枚になる。旅に行く前には相当数書き溜めねばならない。ただでさえ、十行くらい書いてピタリと止まって、それ以上どうにもこうにも進まないことも多いのだ。そうすると慌てて他の書けそうなネタを探す。その繰り返しであった . . . 本文を読む
戸塚7時10分発の沼津行きに乗り込み、終点沼津で乗り換える。西焼津駅に10時10分に到着した。なんと一年数ヶ月ぶりの東海道である。決して投げたりあきらめたわけではない。千円高速の魅力には抗いがたく、去年は一度も歩かなかった。東海道をひとの身体にたとえるなら、頭の天辺がスタートの江戸日本橋で、足の先がゴールの山城国三条大橋、現在でいう静岡県は長い長い胴体にあたる。国でいうと三つ、伊豆(一宿)、駿河(十二宿)、遠江(九宿)と合計二十二宿もあるのだ
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「どうやって帰るんですか」なんとか歩いて帰れる距離に住んでいる同僚が心配してくれた。平成23年3月11日午後二時四十六分、それは未曾有の震度7、岩手の三陸沖地震が引き金で始まった。瞬時に「10メートル以上」という途方もない大津波警報が追うように発令された。沿岸各地を大津波が蹂躙し、福島県の相馬では最大波7.3メートルの峻烈な大津波にひと呑みに襲われ、街は壊滅状況となった。岩手三陸から遥かに離れた東京でも震度5強の地震と、続く同程度の大きな余震で首都圏の鉄道は地下鉄を含めすべて完全にストップしたのだった。運行再開の見通しもたたない。「このオフィスから住んでいる横浜の戸塚まで、約四十五キロあるからなあ・・・。でも、歩くしか選択肢はないよ」
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週に一度はカレーを食べたくなる。その店は深谷にある。深谷駅から歩いて四、五分といった近さだ。伊勢屋食堂。なんとも昭和レトロな感じがぐっとくる。昭和十三年創業で、現在は二代目が厨房を仕切っている。東京の伊勢屋総本店から暖簾分けされたころは、だんごとラーメンが売りの店だったらしい。入り口の脇にはおにぎり、寿司なども置いてあった。引き戸を開けて店にはいると、ほぼ満員であったが相席で座ることができた . . . 本文を読む
今月は嬉しいものをいただいた。高知県は須崎の鍋焼きラーメンである。それも、実際に食べて目からウロコが落ちた橋本食堂のものだから、嬉しさはひとしおであった。韮、竹輪をのせて生卵を落とした。だいぶ雰囲気がでてきた。さっそくスープからいってみる。鳥のだしがなんとも絶妙だ。麺もほぼ記憶どおりだ。卵を避けて半分ほど食べてから、半熟となった卵を箸で散らして味を変える。寒さにはもってこい、たまらない一食となった。食べ終わってから「ライス」の用意を忘れたことに気づく。まあいい、それはネクスト・チャンスだ . . . 本文を読む
昔あったずもな。土淵の新屋ず家の裏にとっても深い淵があったど。ある夏の暑い日、その家の若い者が、馬の足を冷やしてやるべと、淵へ馬を連れでって、そのまんま遊びさ行ってしまんたんだど。
そしたら河童が出て来て、その馬を淵さ引き込むべとしたずもな。してば(すると)馬たまげて、河童引きずったまんま、馬屋さ飛び込んだんだど。今度は河童の方がたまげて、馬の舟(飼葉桶)をがっぽりひっくり返して、その中さ隠れたずもな。家の人達、「なにして馬ばり(だけ)帰ってきたべ」と、不思議がって馬屋をのぞいて見たずもな。そしたら、舟がひっくり返ってべっこな(小さな)手が見えたど。開けて見たっけ、河童だったずもな . . . 本文を読む