(どこで曲がればいいんだろう・・・)那須の南が丘牧場のそばの真っ暗な道を走っているのだが、宿への曲がり道がわからないうちに、何度か泊まっている宿の前に出てしまった。今日の宿はここではない。行きすぎてしまったようだ。灯りのない真っ暗な宿のエントランスに車をバックでいれて方向転換しようとして、ライトに浮かび上がった看板に目をとめた。そこには企業の名前と、保養所の文字があった。宿だった施設を企業に売ったか、買収されたようだ . . . 本文を読む
さて、中尊寺に来たからには金色堂にいかねば話にならない。登りが終わって平坦になったので、いくぶんか元気を取り戻して足を速めた。金色堂の近辺にいくと、どこか近くに観光バスの駐車場でもあるのだろう、いくつもの異国の団体客グループが脇道がゾロゾロと現れた。いきなり目玉の金色堂、それからゆっくり下りながらの観光コースのようだ。シンドイ坂を登らない楽ちんコースではご利益も薄かろう . . . 本文を読む
天台宗の東北大本山の寺院で、開祖は円仁とされるが実質的には藤原清衡だ。平泉を本拠地とした藤原家は、初代清衡、二代基衡、三代秀衡と百年繁栄が続く。その藤原三代ゆかりの寺院である。失脚した源義経が三代秀衡を頼ってこの地平泉に逃げるが、不運にもその年に秀衡は他界してしまう。四代泰衡は義経の兄である源頼朝の圧力に屈して、義経を自害に追いやる。頼朝は謀反人である義経を匿った泰衡も謀反人であるとして、鎌倉から大軍を率いて攻め込み滅亡したのである . . . 本文を読む
「千ベロ酒場」といって、千円あればベロベロに酔える酒場が流行り、チェーンの呑み屋も軒並み低料金を売りにしている。昼食にしても、煙草代や酒代をひねり出すために、ワンコイン(五百円)ですますようにしているひとも多い。わたしはといえば、累積の平均で七百五十円以内に抑えるように努力している。今年にはいって今日まで、勤務日の昼食百四十三回の累積平均が六百十三円とまずまず目標をクリアしている . . . 本文を読む
山門から地下鉄の駅がある鎌倉街道まで一直線に参道がのびているのだが、その大部分が「かんのん通り」と呼ばれるアーケード商店街である。頭上に架けられたアーケードは全長三百メートルを超す立派なものだ。いわゆるシャッター商店街などではなく、両側に店がずらりとならんだ活気のある商店街で、歴史のある和装店や和菓子店などもある。五月下旬から九月上旬まで、弘明寺では「三八(さんぱち)」といって「三」の付く日は観音の、「八」の付く日は聖天の縁日となっている . . . 本文を読む
岐阜県の夏は、<炎天下>という言葉がぴったりくるほどまことに暑い。美濃の卯建(うだつ)のある古い町並みである。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。昼時なので、食事するところを探して美濃の町をぶらぶらと歩く。こう暑いと、食べたいものが思いつかなくて困る。どことなくすっきりして感じられるのは、電柱をなくして電線を地中に埋設してあるからだ。
歩いているとたしかに立派な卯建があちこちの屋根にみかけられる。卯建はもともと防火が目的なのだが富裕の象徴でもある。和紙で繁栄したころに造られたものだ . . . 本文を読む
その土地に旅してみたいと、強烈に思うことがある。わたしの場合、読んだ本の舞台となっている土地の描写に触発されたりすることもあるが、テレビや映画、雑誌、ポスターなど、画像からのことが多い。郡上八幡に行ってみたい、郡上踊りを踊ってみたいという気持ちも相当に長い間ずっと思い続けていたものだ。これも郡上八幡が舞台となったテレビドラマをみていて思ったのだった。古い話で、題名も荒筋も主人公もなにも覚えていないが、新橋から子どもたちが次々と川に飛び降りるシーンと、郡上踊りのシーンは覚えているのである . . . 本文を読む
ふだん、まずガムは食べない。もらうと食べるが一、二分も噛んでいると、くれたひとに悪いが捨ててしまう。あまり口のなかにずっとなにかをいれておけないのだ。噛み切れないタコとか固い肉なんてぇのも、同じようにだめである。飴も喉飴いがいには滅多に食べないのだが、気に入っているものは平気なのだ。和歌山の那智黒なんかは好きである。あと、郡上八幡の「肉桂玉(にっきだま)」は大好きだ . . . 本文を読む
巨大なソフトクリームは、この食堂の名物だそうだ。定食、丼、洋食、中華、蕎麦、うどん、寿司・・・なににしよう、気が狂うなあ。迷いに迷ったが、よし決めたぞ。購入した食券を通路にいたウェイトレスに、「あそこに座るから」と誰もいないテーブル28番を指差して渡し、半券を受け取って席についた。三世代座っているテーブルもちらほらある。たしかにこの食堂なら、爺ちゃん婆ちゃんから孫まで豊富なメニューがあるから楽しめる . . . 本文を読む