今月はジツに得難い体験をした。旅雑誌の読者参加のコーナーに能天気なひとり旅の企画を応募したら、なんとこれがすんなり通ってしまったのである。とんとん拍子で話が進み伊豆に旅にでたのだ。ところがいざ取材旅となると、いろいろと枷が多くてまいった。女性読者が喜ぶところをとか、酒のつまみになるような土産も、筆者も映った画像もお願いしますなどと畳みかけてこられたのである . . . 本文を読む
夕食の時間がきて食堂にいき、部屋番号のテーブルをみつけて座る。飲み物メニューをみて熱燗を頼む。眼の前にならぶ料理はわたしにはちょうどいい量である。朝食もやっぱりわたし好みの少なめの品揃えである。休前日の土曜日なのに七千五百円と格安なのだから夕食、朝食ともに温泉好きなら文句はないだろう。いまはもうないがその昔、良く泊まった「トキメック那須リゾート」というここより千円安い格安宿があったが、幸乃湯温泉もいまどき珍しい良心的な宿泊料金だ。ただひとつ残念なのは、土曜泊だけ露天風呂の交代がないのである . . . 本文を読む
せっかく来たんだから、たまにのことだから・・・魔法のようなキーワードで旅先ではついつい財布の紐がゆるむ。旅行費用が潤沢にある旅人なら高い観光地値段の昼食でもかまわないだろうが、財布の紐をぎゅうぎゅうしめるわたしは安くて満足できる昼メシを常に追求するのである。さてと、今日の昼メシはなににしようか・・・。地下街の一番奥、美人姉妹が営む和食処「結(ゆい)」の前に置かれた立て看板の、両側に書かれたメニューを素早く検討する。七百円台中心のラインナップとは新橋あたりの良心的な店なみのリーズナブルな価格である . . . 本文を読む
「茶の庭」に向かおうとして本館から出たすぐのところに、狭いが喫煙所があったのでようやく一服することができた。広大な美術館のわりに五、六人入ればいっぱいの情けないくらい狭いスペースだった。竹林を右手にみながら、唐門のある庭へ続く階段をのぼっていく。唐門を入ってすぐの左側には茶室「樵亭」があった。備前岡山藩の筆頭家老伊木忠澄(三猿斎)が晩年、茶の湯三昧の余生をおくった。「大炉の間」と呼ばれた茶席を移築し、本阿弥光悦の襖絵からを名付けたそうだ . . . 本文を読む
「いいねぇ・・・!」。誰もいないので、気にせずに声にだした。なんとも嬉しくなるほどの湯量たっぷりの、打たせ湯「大滝の湯」である。つい感嘆の溜息をもらしてしまうほど、滝のように轟音をあげて四メートル下の温泉に落ちこみつづけている。この打たせ湯をみるたび、いつも別府鉄輪(かんなわ)温泉にある日帰り温泉施設「ひょうたん温泉」のずらりと並んだ十九本の打たせ湯をおもいだしてしまう。もっともいまのわたしは頸椎が悪いので、すぐ上の段にある屋根付きの露天風呂「鮫川石の湯」に入ることにした。掛け湯をたっぷりして、源泉を満々とたたえる浴槽に身体を沈めていく . . . 本文を読む
目玉展示である江戸初期の絵師「岩佐又兵衛」 の最高傑作である「山中常盤物語絵巻」は義経伝説の絵巻物だが、全十二巻あるので一挙公開の展示総延長はなんと七十メートルを超える。展示室六部屋のかなりを占めるが、切りもないことだし絵巻物にもそれほど興味ないわたしであるので、それとは違う作品を案内したい。それにしても、あちこちでゴツンゴツンとオデコや顔面を高透過ガラスにぶつけて軽い悲鳴と笑い声があがっていた . . . 本文を読む
「ヤバい。あああ、虻(あぶ)かよ!」階段を昇りはじめ、五段ほどあがったところで「ぷーん!」と耳に羽音が入ってきて焦る。虻が出るにはすこし早いから蜂かもしれないが、どちらにしても危なさに変わらないし、たしかめている余裕などない。降りるか昇るか、一瞬で選択しなければならない。ここの急階段の手すりは低すぎるし、蹴上(たかさ)は普通だが踏面(奥行き)の寸法が少なく普通の半分ほどくらいで昇りづらいことこのうえない。茅の輪くぐりも作法通りしたことだし、えーい昇ってしまえ . . . 本文を読む
ムア広場からは脚を使って階段を昇ることにした。本館入口階の踊り場の左側の壁には、ロダンの弟子だったブールデル作のレリーフ「アポロンと瞑想・走り寄る詩神たち」。かなり大きな作品である。本館に入ってすぐのところに、マイヨールの「春」。フランスの画家のアリスティード・マイヨールは四十歳を過ぎてから彫刻を始めたという。裸婦のモチーフが多い。髪型のへんがサザエさんに似ていると不埒に思うのはきっとわたしだけだろう。ムーア、ブールデル、マイヨールと著名な芸術家の作品をさりげなく三連発である。昨年いった島根の足立美術館と同様にここが私立美術館であることに驚きを禁じ得ない . . . 本文を読む
夕食は、わたしの大の苦手である部屋食だ。恥ずかしながら性格の中心の、大黒柱みたいな部分にたっぷりネコが入っているわたしは、好きなものから食べるという、生意気で小癪な<我がまま喰い>なのである。酒呑みなので、夕食は食事より酒を優先させたいのもある。だから、嫌いなものを残してさっさと席を立てる食事処での夕食が理想的なのだ。時間になって、台車でゴトゴトと膳が運ばれ炬燵の上の卓にセットされた。この宿は自前の農園を持っていて、そこから食材を調達しているとのことだ . . . 本文を読む