麦秋(ばくしゅう)・・・いい言葉だ。小津安二郎の映画にも同名のものがあったな。秋の字が入っているが、ところが秋ではない。初夏である。麦の穂が実って収穫期になる、梅雨が始まる前、「初夏」のころのとても短い季節である。麦にとっての「収穫の『秋』」であるので、名づけられたのだ。富山で初めて麦秋をみて興奮して、狭い路に車を停めると夢中で写真を撮った . . . 本文を読む
さて、今日の昼メシをなににしようか・・・。今年は月に一度か二度、午後から半休をとったり土曜日にわざわざ出かけたりして赤坂、丸の内、銀座などでよく食べた懐かしいところを訪ねてランチを食べている。銀座四丁目の交差点で立ち止まり、頭のなかで近辺の店を目まぐるしくサーチする。はたと思う。そういえば、300円ラーメン、このあいだは運悪く中休みだったな。時計をみると午後一時を廻っているから、もうピークの時間は過ぎただろうし中休みにはまだ早い、丁度いい頃合だ。行ってみるか . . . 本文を読む
わたしがこの宿で餅を食べるのはたしか三度目である。日帰りでも訪れているのでこの宿には四、五度きていることになる。それなのに、一度もこの宿のことを書いたことがないのを今回初めて知って驚いた。日帰りで温泉にはいったことをてっきり書いたと思っていたのだ。この際、せっかくなので温泉のことも紹介しておきたい . . . 本文を読む
あちこちへ旅をして、その土地の名物とかをなるべく食べるようにしている。食は旅の楽しみのひとつであるが、そればかりではない。旅の思い出といえば、土産だったり、写真だったりいろいろあるが、食べた物もその思い出の索引になる。そう、食べ物とその土地の思い出は、不思議としっかりとリンクしているのである . . . 本文を読む
このあいだ呑んだとき、うどんの話題にひとしきりなった。讃岐から始まってあちこちのうどんの話で盛りあがり、なかのひとりが、「ところで『塩うどん』って知っているか」とみんなに訊く。誰も一様に知らない。わたしもうどんに相当に詳しいのだがまったくの初めて、だった。語感がいかにも旨そうだ。詳しく教えてくれと頼んだ。砂町銀座の店で出しているうどんだそうで、それは誰もしらないはずだと一同納得する。若いころ近くに住んでいたので、よくそれを食べに砂銀に行った。うどんの味付けが塩と砂糖だけだそうで、関東なのに醤油は使わない。しょっぱいがほんのり甘い、安くて美味しいうどんなんだよ、と彼は遠い眼つきをして懐かしげに語った . . . 本文を読む
搗きたての餅の雑煮をゆっくり味わって食べているうちに、次々といろいろな餅が配られる。あんこ、きなこ、ずんだが各一個。納豆餅が二個。このなかでは酒呑みのわたしには納豆餅がやっぱり一番だ。大根おろしが二個、うこぎ味噌が一個。大根おろしは掛け値なく餅に合っているし、味噌の甘さと、ウコギのほろ苦さがなんとも絶妙である . . . 本文を読む
都道府県のなかで九州の二倍の面積を持つ北海道は別格として、四国四県の大きさにほぼ匹敵する面積の岩手、福島についで、長野が全国第四位の面積をもつ県である。だから長野には数限りなく行っているのだが、未踏の地が探せばまだまだある。奥が深いところなのだ。初めて長野を観光で訪れるとき、善光寺の長野市とともに、松本城のある松本はポピュラーな土地だ . . . 本文を読む
米沢駅から西へ放射状に伸びるふたつの路のうち、上杉神社に向かう左側の路を歩き始めるとすぐに左手に「べこや」がある。米沢から各駅停車でふたつ行った高畠というところに泊ったときに、近所の庶民的な焼肉店で手頃な料金で米沢牛を食べた。わたしは、それ以来の米沢牛の信奉者である。開店時間の十一時半の十分前から椅子に座って待った。時間になると店の女性が出てきて、いきなり焼肉かステーキかしゃぶしゃぶかと訊かれた。食べる料理の種類により案内する席が違う、メニューの詳細はあとで決めればいいという。「焼肉でお願いします」中に入ると、どうやら二階席や奥のほうにも席があるようだ . . . 本文を読む
男には餅好きが多いが、なにを隠そうわたしもそのひとりである。その餅好きが狂喜する、正月の三が日だけではなく三百六十五日、毎日搗きたての餅が供される宿が山形の赤湯温泉にある。しかも効能豊かな温泉つきの宿だから、わたしなどは狂喜の二乗となってしまう。宿の名は「行き帰りの宿 瀧波」である。朝の八時前、館内放送が流れると、泊り客はぞろぞろと会場のある二階の大広間に向かう . . . 本文を読む
ときめきに胸を弾ませるようなことがなくなったとき、ひとは輝きをなくし、代わりに音もなく老いが忍びよる。どんなことでもいいとおもう。わたしのように旅でもいいし、囲碁将棋のような娯楽でも、読書でも機械いじりや食べものでもかまわない。料理、育児でもいいし、もちろん好きな異性でもいい。なに、誰にいう必要もないのだから。心がときめくようなものを持ち続けてほしい。胸を弾ませて、顔が、眼が輝くような、なにかを。ひとつでも . . . 本文を読む