大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

出番来る

2016-08-02 | 日記
テレビは梅雨明け梅雨明け!とはしゃいでいるが、、ホッカイドーのこの雨の事知っているのか?
この時期、周りの麦畑が黄金色になり、サア刈入れ!というときになると雨が降る。

3年間スイスで暮らした娘夫婦が4月から婿さん岐阜勤務となる。
船で送った引っ越し荷物88個が5月に届いたとのこと。娘のストレスはピークに達した。
北海道で気分転換しようが何しようが、荷物の存在は「在る」。母にラブコールが続いたが
いくら片づけ上手な特技があったところで、今回だけは無理と思っていた。
こちらも田圃に畑に伸びてくる草は引っ越し荷物の比ではなく、心の余裕はない。
しかし、「おい、格安チケットとれた。行け!」と夫からGO。風が瞬時に変わる。
10時に千歳から中部空港まで1時間半飛んで、空港から名鉄岐阜まで一直線で、1時半には娘とランチしていた。
さんざん気晴らしして、こんな時に預かってくれるという保育園に夕方孫を迎えに行くと孫はちょっとはにかんでいる。
長良川沿いの旅館の外に鵜飼い船に見立てた熱めの足湯が用意されていて、歩き疲れた足を癒す。嬉しや嬉し!!
川べりに建つアパートの4階が娘たちの新居だった。荷物は思ったよりずっと片付いていた。(やればできるんでしょ)
1歳半の孫が何かにつけては私の手を引っ張ってベランダに連れて行き、敷いてあるござの上にコロリと寝ころぶ。
ばばも寝ころべと要求するので寝ころぶと、10㎝位の隙間から目の前の長良川で遊ぶ人たちの様子が一望できた。
夜、パンパンパンと花火が3発鳴ると鵜飼い船がかがり火を焚きながら一斉に目の前までやって来て鵜飼いが始まる。
それを皆でゴザに寝ころんで隙間から観賞する。抱いて立つとはしゃぐ孫がベランダから落ちそうになるからだそうだ。
翌日は婿さんと4人、貸自転車で今まで娘が行ってみたいと思っていた竹そばの店、パン屋、アートギャラリー、
不思議なドーナツ屋などで一日遊ぶ。 孫を載せた娘の自転車は電動だが、婿さんと私は結構へとへとだ。
だが、いつもストレス満載の娘が「ああ面白かった!楽しかった!!」と手放しで喜ぶのを見て疲れがチャラになる。
翌朝5時頃、寝ている足元に娘が足もみ機を2台置いて「母さん昨日疲れたでしょ」とねぎらってくれた。
「夕方帰るまでにやってほしいことないの?」というと「じゃ荷物整理したい!」となり、いよいよ出番が来た。
婿さんと孫がまだ寝ている合間の4時間位、二人で台所関係の段ボール箱を一気にあけて分類した。
「ああ嬉しい!!ああ嬉しい!!ほんとに嬉しい!!!母さん有難う!!!」と大げさでなく喜んでいる。
前日まで大真面目に、○○先生のウン万円のカウンセリングを考えていた娘は、「あれ?べつによくなったみたい。。」
婿さんの出張も多く、1歳半の息子の命をあずかり24時間過ごす、という生活が、娘の心を緊張させていたのだ。
一緒に自転車に乗って、ご飯食べて、お茶飲んで、些細な話題を笑いながら共有する。ああ楽しいな!って感じる。
自分だけで背負っていると思い込んでいる荷物。。。自分も通って来た道のはずが、、忘れていた。。。
今日この時までの時間を自分と共有共感してくれた一人一人がいたからこそ生きて来れたのだ。

カラス

2016-08-02 | 日記
国道274の道端に、一羽のカラスが横たわっていた。
自分の脳裏にサッと横切ったカラスがいた。そう、カラスが横たわっていたすぐ近くに
私が米を作っている田圃があり、その農作業時によくトラクターのそばに来て”カアー
クワー”などと私に語りかけるように鳴くカラス。
トラクターで畑を起こし始めると、どこで見ているのか、すぐに起こした畑の上を歩き
ながら土の中から出てきた虫などを突きに来ては、私の方を見て”カアー”を語りかける。
文句を言っているのではなく、この地に一緒に住む友人、仲間に語りかけているように
私には思える。
そのカラスは、いつも二羽で行動している。語りかけてくるカラスは雄だと思うのだが、
もう一羽の方はあまり鳴いているのを聞いたことがない、と言うか記憶がない。仮に語りかけてくる方を”父さん”とし
おとなしい方を”母さん”としよう。
このつがいのカラスは、圭太の犬が一日中庭にいた初夏には、犬がワンワンと鳴くのを聴いて、木の上で同じように
ワンワンと鳴いて物まねをするのだ。
羊のシュンの背中に乗って背中の毛なのか、毛の中の虫を突くのか、何せシュンはそのカラスのつがいを追い払わ
ないのだから、きっと気持ち良かったのだろう。

その後、カラスは一羽だけが時々倉庫の屋根の上などに来て、カアーと鳴いているのだが、鳴き声も違うし、私の方を
見る事もなく、何か寂しげに鳴いているように聞こえる。
きっと、横たわっていたのは”父さん”カラスと思えるし、残されたカラスが可哀そうに思えてならない。
       ≪さとしのつぶやき≫