民主党政権の大衆向けパフォーマンス「事業仕分け」の中で、国土交通省所管のスーパー堤防が槍玉に上がっていた。 騒いでいるのは例によってマスゴミの連中であったりするのだが、そんな事業はもう何年も前から始めていた事で「事業仕分けの対象になったからと言って騒ぐような物じゃないだろう」と思うのだが、何か騒いで記事にしたり、TV番組を賑わせすネタにすれば事足れりのいつものアレですね。
去年、利根川河口に釣りに行った帰り道、利根川の堤防に沿った道を走って浦和に戻った時の事を思い出すと、大水が出た時には堤防の堰を閉め、内側から本流に流れだすべき小さな掘割程度の物を含む河川の水はポンプで利根川本流に送り出すべく、各地にポンプ場が設置されていました。 利根川下流域は天井川とは言わないまでも、 それに近い状態になりつつあるんですかね。 だから、治水の責を負う人がスーパー堤防みたいな物を工事費用は別問題として実現すべく努力してしまう気持ちは判らなくもない。 一部の完工済みの部分の様子を見れば、台地を作ってその上に作ってある建物を見ると、「堤防を越える水が出てもその場所に建てられた建物群への出水被害は少ないだろうな」 とは感じます。
しかし、今作られつつあるスーパー堤防が予定した総延長に対して全て完成したとして、災害に対して万全な備えになるか? と考えた場合、 かなりの疑問符が付くと思います。 洪水では無くて、地震に対してどの程度の耐性を示す様に建設しているものでしょう? 盛土の上の建物なんて「地震にはものすごく弱いんじゃないの?」と僕は思ってしまうのですけどね。
一般建築物にも地震国の日本ではかなりの強度の地震があっても人的被害を少なくすべく既存の建築物に耐震補強工事が追加されたり、新築時には耐震設計が要求されていますけれど、どこまで行ったって万全なんて事は無いのだから、そんな費用の掛け方より、「地震でぶっ壊れたら作り直す」くらいの気持ちで対処した方が良さそうな気がしてます。
ただね、あのスーパー堤防の盛土部分の大きなスペースをゴミの埋立地と捉えれば「ゴミの最終処分場の寿命があと何年しかない」と心配している関係者は助かり、 僕の住む多摩地域で言えば各地に点在するゴミ焼却場等から五日市の山中の最終処分場まで20km近く車でゴミを運搬して捨てるより、随分と近距離の運搬で済むからECOの観点からも良いのではと思えるけれど。 そんな事を提案したら、堤防周辺の住民の皆さんからは物凄い反対運動が起こるでしょうね。
去年、利根川河口に釣りに行った帰り道、利根川の堤防に沿った道を走って浦和に戻った時の事を思い出すと、大水が出た時には堤防の堰を閉め、内側から本流に流れだすべき小さな掘割程度の物を含む河川の水はポンプで利根川本流に送り出すべく、各地にポンプ場が設置されていました。 利根川下流域は天井川とは言わないまでも、 それに近い状態になりつつあるんですかね。 だから、治水の責を負う人がスーパー堤防みたいな物を工事費用は別問題として実現すべく努力してしまう気持ちは判らなくもない。 一部の完工済みの部分の様子を見れば、台地を作ってその上に作ってある建物を見ると、「堤防を越える水が出てもその場所に建てられた建物群への出水被害は少ないだろうな」 とは感じます。
しかし、今作られつつあるスーパー堤防が予定した総延長に対して全て完成したとして、災害に対して万全な備えになるか? と考えた場合、 かなりの疑問符が付くと思います。 洪水では無くて、地震に対してどの程度の耐性を示す様に建設しているものでしょう? 盛土の上の建物なんて「地震にはものすごく弱いんじゃないの?」と僕は思ってしまうのですけどね。
一般建築物にも地震国の日本ではかなりの強度の地震があっても人的被害を少なくすべく既存の建築物に耐震補強工事が追加されたり、新築時には耐震設計が要求されていますけれど、どこまで行ったって万全なんて事は無いのだから、そんな費用の掛け方より、「地震でぶっ壊れたら作り直す」くらいの気持ちで対処した方が良さそうな気がしてます。
ただね、あのスーパー堤防の盛土部分の大きなスペースをゴミの埋立地と捉えれば「ゴミの最終処分場の寿命があと何年しかない」と心配している関係者は助かり、 僕の住む多摩地域で言えば各地に点在するゴミ焼却場等から五日市の山中の最終処分場まで20km近く車でゴミを運搬して捨てるより、随分と近距離の運搬で済むからECOの観点からも良いのではと思えるけれど。 そんな事を提案したら、堤防周辺の住民の皆さんからは物凄い反対運動が起こるでしょうね。