石巻市内で津波被害を受けた住宅改修のボランティアを終えてから、僕たちは南三陸町に向かう前に牡鹿半島にある谷川地区にも立ち寄りました。 4月の内にAさんから現地の写真は見せてもらっていたのですが、そこの浜では、ほんの一部のコンクリート建の構造物を除いて家の形をしたものがまったく残っていません。 そんな地区の山側周辺を幾組かの2・3人のグループが捜し物をするように歩きまわる姿がありました。 手にはスコップや棒切れを持っていました。 それは行方不明者の捜索であるかもしれないのですが...
Aさんのお兄さんの住む家はこの津波で全てを流された谷川地区にありました。 先日の石巻市内でのボランティアもどき作業は、そのお兄さん達が暫く仮住まいすることになる家の改修工事であった訳です。 その時、お兄さんから直接、話を聞くチャンスがありました。 幾つも興味ある話題を聞いたのですが、今日はその中の一つについて記します。
牡鹿半島の漁村・谷川地区の周辺には郵便局等の金融機関がまったく無い地域で、各家庭はそれぞれ日常必要な現金を箪笥預金の形で保持していたそうだ。 10万、50万、中には1千万円の現金を保持していた家もあったそうな。 津波の時には身一つで逃げるのが精一杯で、其の様なお金を持ち出す暇も無く全てが流されてしまったと言う。 ところが、 袋にいれてあった1千万の包が捜索隊によって回収され、袋には名前が書いてあったために所有者の手元に戻る、そんな幸運な出来事もあったのだそうです。

そんな話を聞いていたから、何かを探している地区住民の姿を見て、「自分の家の箪笥預金も運良く何処か竹やぶあたりに引っかかって残っていないか?」 と探しまわっている、宝探しの様な姿に見えてしまいました。
Aさんのお兄さんの住む家はこの津波で全てを流された谷川地区にありました。 先日の石巻市内でのボランティアもどき作業は、そのお兄さん達が暫く仮住まいすることになる家の改修工事であった訳です。 その時、お兄さんから直接、話を聞くチャンスがありました。 幾つも興味ある話題を聞いたのですが、今日はその中の一つについて記します。
牡鹿半島の漁村・谷川地区の周辺には郵便局等の金融機関がまったく無い地域で、各家庭はそれぞれ日常必要な現金を箪笥預金の形で保持していたそうだ。 10万、50万、中には1千万円の現金を保持していた家もあったそうな。 津波の時には身一つで逃げるのが精一杯で、其の様なお金を持ち出す暇も無く全てが流されてしまったと言う。 ところが、 袋にいれてあった1千万の包が捜索隊によって回収され、袋には名前が書いてあったために所有者の手元に戻る、そんな幸運な出来事もあったのだそうです。

そんな話を聞いていたから、何かを探している地区住民の姿を見て、「自分の家の箪笥預金も運良く何処か竹やぶあたりに引っかかって残っていないか?」 と探しまわっている、宝探しの様な姿に見えてしまいました。