18日の金曜日に保育園で園児達との触れあいイベントがあって出席して来たのだが、 一番印象に残った事は給食の時の様子だった。 一枚のプレートの上に盛りつけられた食事は年齢毎のクラスに応じて量は違えてあるのだろうけれど、 同じクラスの場合はほぼ等量の主食やおかずが盛り付けられていた。 全ての配膳が済んで、 「いただきます!」の挨拶の前に先生が子供たちに「量を減らして欲しい人はいますか?」と聞くのだった。 それに応じて園児たちは「ヘラ・シテ・クダサイ!(減らして下さい!)」とリズムを付けた口調で口々に申し出るのだった。 先生は何を減らして欲しいのか聞きながら、手にした空のプレートに園児たちの指定する物を移して量を減らしてあげているのです。
まあ、 保育園児の年齢では早生まれの子と、そうで無い子供の発育状態は随分と差があるのだから、 食欲も違いが出て当然。 だから「食べ切れない」そう思ったら量を減らしてもらう。 それは至極合理的に感じた僕ではあったが、 僕が保育園や小学校に通っていたころ、 給食の「食べ物の量を減らしてもらう」そんな事をした記憶が無いのだ。 パンなど残れば(残らないけれど)家に持ち帰れば良かったし、 あの頃は家庭での食事の量が充分ではなかっただろうし、 給食の食事の量だって必要最小限だったのかな。
だから「ヘラ・シテ・クダサイ!」と申し出る子供達を見て、「食べ物がふんだんにある、 現在の日本ならではの光景だなあ~」と感じた出来事でした。
ちなみに先生に聞いてみました
「ああやって取り分けた食べ物は、どうなるのですか?」と
そしたら、 一応食べ終わった後で、「もう少し欲しい」と申し出た子供には追加してあげるのだそうです。
僕達も園児と同じテーブルで同じメニューの昼食を戴いて帰って来ました。
お馬鹿な男の子たちは変な顔をして
写真を撮らせてくれました。
当然、我が家の孫も入っています。
まあ、 保育園児の年齢では早生まれの子と、そうで無い子供の発育状態は随分と差があるのだから、 食欲も違いが出て当然。 だから「食べ切れない」そう思ったら量を減らしてもらう。 それは至極合理的に感じた僕ではあったが、 僕が保育園や小学校に通っていたころ、 給食の「食べ物の量を減らしてもらう」そんな事をした記憶が無いのだ。 パンなど残れば(残らないけれど)家に持ち帰れば良かったし、 あの頃は家庭での食事の量が充分ではなかっただろうし、 給食の食事の量だって必要最小限だったのかな。
だから「ヘラ・シテ・クダサイ!」と申し出る子供達を見て、「食べ物がふんだんにある、 現在の日本ならではの光景だなあ~」と感じた出来事でした。
ちなみに先生に聞いてみました
「ああやって取り分けた食べ物は、どうなるのですか?」と
そしたら、 一応食べ終わった後で、「もう少し欲しい」と申し出た子供には追加してあげるのだそうです。
僕達も園児と同じテーブルで同じメニューの昼食を戴いて帰って来ました。
お馬鹿な男の子たちは変な顔をして
写真を撮らせてくれました。
当然、我が家の孫も入っています。