地震の被災地へ

2011-05-10 21:08:43 | タナカ君的日常
 知人A さんの関係で石巻の町へ救援活動モドキにやって来たのだが。 その手前の村田ICで東北道を降りて、蔵の街村田の街中を通り、仙台空港、荒浜地域などを通過して被災地の様子を窺って来ました。 Topの写真のヘリコプターは仙台空港への津波で損傷して片付けられたものの一部です。 2枚目の写真のおじさんは蔵の街村田の街なかの一番大きい蔵屋敷の隣で看板業を営んでいる方でしたが、地震で建物が損傷して見物禁止になっている建物の敷地の中へ案内してくれた上に秋に行われていた賑やかな催しが今年開催できるか心配している事等を聞かせてくれた。 仙台空港でも客町をしていたタクシーの運転手さんに話しかけたら、当日の津波の様子、救援に駆けつけた米軍の活動の見事さなどを熱く語ってくれました。 皆、あの大災害を体験した人は何事かを人に伝えたくて、あるいは語りたくてウズウズしている感じですね。



 僕も今日、見てきた事はもっと語りたいのだけれども、なんだか石巻まで運転して来るのに疲れてしまったためか、右目の白目の部分に内出血して赤くなってしまった、これは早く休んだ方が良さそうなので、今日のところは軽く切り上げておきます。
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年号・物忘れ

2011-05-09 06:48:09 | タナカ君的日常
 旅に出る前に新聞や郵便の配達を停止してもらう手続きをとります。 昨日の日曜日に新聞屋さんは妻が、郵便局には僕が、それぞれ分担してやりました。 日曜日のこととて近所の郵便局は休日で窓口が閉まっている。 だから自転車に乗って休日も受付窓口に人のいる本局まで出かけて行ったのです。

 「配達停止手続きをお願いしたい」と伝えると、局員さんは必要な書式を渡してくれました。 提出日、住所、氏名、停止期間等の記入が必要です。 提出日欄は「平成」の年号で記入するようになっているのだが、 最近は平成XX年と記入する事がほとんど無くなったためもあって、思い出せない。 局舎の壁に年号の判る物、カレンダーでも無いかと見回したけれど見つからない。”平成__年”の場所以外は全部の記入を済ませた頃に、中年女性客が僕が書いていた書類記載台に近づいて来た。 これ幸いと「すいませんが、今年は平成なん年だったでしょう?」と聞いたら、 日にちも判らなくなった哀れな老人か? といった面持ちで「23年です」と答えてくれた。 僕の頭の中には22年くらいのイメージが有ったので、23年がにわかには信じられなかった。 それで、あらためて窓口に居た郵便局員の所に行って「今年は平成なん年でしたっけ?」と聞いてみた。 そんなやり取りは先程の女性にも聞こえてしまう。 その女性の顔には「私が信じられないなら聞くんじゃないよ! このボケが!!」と大きく書いてあった事は言うまでもありません。

 しかし使わなくなった物に対する物忘れは漢字の書きに始まって、年号にも及んできてしまいました。 「どうなる?」 >> 自分
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浜岡原発稼働停止要請

2011-05-08 21:41:24 | タナカ君的偏見
 菅総理が中部電力に対して御前崎にある浜岡原発を津波対策が完了するまで停止させるように要請したと聞く。 予想される東海地震への対応との話だが、どことなく唐突に感じてしまう。 僕としては、原子力発電所の稼働を停止させる事に反対するつもりはありません。 何しろ、御前崎あたりで放射性物質を空中にばら撒いたら、福島原発周辺以上に横浜や東京など、人口密集地域に影響を与えるでしょうから...

 しかし今回の菅総理のとった行動、 僕の感覚的には出来の悪い囲碁対局ソフトが勝ち目がなくなると判断した後に成算もないまま無闇矢鱈と「アタリ」や「切り違い」を打ち、終局に向かう様子とそっくりに見えてならない。
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花粉シフト体制解除

2011-05-07 11:04:49 | タナカ君的日常
 天気予報の時間に報じられる、関東地方全域の花粉の飛散状況予報を示す地図の表示色が緑色(少ない)になって来ました。

  我が家では室内に吊り下げられた長い物干し竿も軒先に出て行きました。 3月初旬から屋外で天日干しするのを控えていた敷き布団も先日の晴れ間に天日に当てました。 花粉シフト体制もやっと解除です。

 でも妻は相変わらず鼻詰まり症状が出ると言って、点鼻薬を就寝前に付けて辛そうです。 天気予報で花粉情報が報じられなくなるまで、もう少しの辛抱です。
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トラックツアー

2011-05-06 21:21:26 | タナカ君的日常
 昨日と一昨日のNHK―BSでは、南米とアフリカをトラックとバスを合体させた様な乗り物で縦断する旅を朝の9時過ぎから夕方5時ごろまでぶっ通しで放送していました。 南米大陸周遊の旅は165日、アフリカ縦断の旅は114日間の長旅です。 南米の旅の中ではペルーのマチュピチュ、 ウユニ塩湖、パタゴニア等、いつか行きたいと思っていた地域は全部訪れている。 だから僕も妻も興味が湧いたので画面に出てきた大型トラックに表示されたツアー会社のロゴ(KUMUKA)を頼りにWebで調べ始めました。

1. 宿泊は大半はテント泊、 場所によってはロッジなど。
2. テント泊まりの時の食事は参加者が分担して炊事する。

  ここまでは番組の中の話で判っていました。

3. 基本料金はおよそ100US$/day程度のもの。 
4. 各地域で催行されるオプションが有り、それは別料金
5. ツアー出発地・解散地への航空券は参加者手配。
6. 参加者の年齢基準 (Age Guides : 18-55 )
7. ツアーは日程20日、40日、程度のものから各種ある。

 放映された番組のツアー参加者は60以上の年齢の方も居ましたけれど、大きく年齢基準を越えた僕達が申し込んだ場合、参加を引き受けてくれるのか? 

 上記以外にも旅行案内資料には黄熱病の予防接種のことやマラリア予防薬、金の持ち方、 荷物はスーツケースじゃなくてバックパックの方が良いだとか、事細かに海外旅行の指南書的な事が沢山書いてあるし、 長丁場の旅に備えて歯医者で手入れしておきなさいよ! なんて事まで書いてある。 そんな資料を読むだけでも良い暇つぶしになりました。 いずれにせよ、僕たちは肉体的・精神的にトラックツアーに耐えられるのか? それが問題で、参加しない可能性は大きいけれど... 取りあえず僕達の年齢でも受け付けてくれるのか? これからメールで問い合わせをして見ます。
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ビン・ラディン氏殺害

2011-05-05 20:50:29 | タナカ君的偏見
 10年前、世界貿易センタービルやペンタゴンへ乗っ取った民間航空機で突入して大惨事を引き起こした。 そんな奇想天外な攻撃を行った集団のリーダーと言われるビン・ラディン氏。 アメリカの執念は、その彼の隠れ家をパキスタン国内に探しだし、ヘリコプター2機に乗った特殊部隊が急襲をかけて殺害(5月2日)したとのニュースが流れた。

 そこまでは「やりましたね! 仇討を...」の感なきにしもあらずだけれど... その後のニュースでは、遺体を運び出してアメリカの軍艦まで持ち帰り、挙句の果てには海に投げ捨てた(水葬にした)なんて話を聞く。 海に捨てた理由として「彼の遺体を引き取る国が無かったから水葬にした」なんて訳の判らん話もあるが、 「じゃー 遺体をわざわざ運び出さないで、その場に残して置けば」と思ってしまう。 いったい何が目的で遺体を運びだしたんだろう? これでまたアメリカは誰かに嫌われる種を蒔いてしまったんじゃないか? と心配になって来ます。



        隠れ家 (BBCニュースより) 
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80円分の幸せ

2011-05-04 16:26:24 | タナカ君的日常
 現役サラリーマンを辞めてからはゴールデンウイークで長期に休めるチャンスだからと旅行に出ることはほとんど無くなった。特に、この時期の高速道路は渋滞40km等とのニュースを聞くから、余計に遠くへ出かける気分にならない。 でまあ、家でゴロゴロしているのだが、 久しぶりに泉町体育館の温水プールに行って来た。 平泳ぎする腕の動き(水の中でゆっくり大きく腕を動かす)は 「骨折して動きの悪い筋肉に良い運動になるだろう」そんな御利益を期待してのことでもあります。

 プールの半分は中高年者グループの水中運動に団体貸出されていたから、自由につかえるレーンは4レーンぶんしか無かったけれど、小学生低学年の子どもを連れたお父さん、水中でしか動けねえだろうなと思ってしまうスタイルのカバ小母さん、年頃の若者の姿はほとんど無く、フリー遊泳区間に居た人数は20人以下。 空いていました。

 最初はビート板の上に乗せた腕を前方に突き出して足で底を蹴りながら何度か往復、途中からはビート板を使わないで腕だけ平泳ぎ動きをさせながら水中歩行。 そして休憩時間で一旦プールから出て、再開直後の空いている時を狙って普通の平泳ぎで25m。 40分程の時間でしたが、終わってみると腹も空き、「良い運動になりました」 そう思って、 着替え終わってから健康チェック室に備えられた血圧計で測定してみると...
 
最高血圧 : 106
最低血圧 :  65
脈  拍 :  68

こんな数値では運動した後のデータか? と思ってしまいますが、間違いなく腹は減りました。 だから、帰宅途中のコンビニでコロッケを買って80円分の幸せを感じながら、美味しく食べました。
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「被災地 再起への記録」 ふたたび

2011-05-03 08:35:40 | タナカ君的日常
 昨日の朝食後、少し休憩して「散歩に出かけようかな?」 と思い始めた時分に点けたあったTVで一昨日の夕方に見たドキュメンタリー番組の続きの放映が始まった。 前に見た番組の内容が良かったので、最初からシッカリと見ましたよ。 おかげで散歩には出遅れましたけれどね。

 番組は避難所生活の場を仕切るリーダーを中心にした仮設住宅建設実現に向けた取り組みを扱っていた。 その被災した住民が避難している地域の施設はサイズが小さくて被災者全員が手足を伸ばして眠れるスペースが無い。 そこで老人や女性、そして子供はその建物で眠らせ、男性陣は車の中で眠るとかして過ごしている。 そんなだから、ゆっくり眠れる施設の確保は愁眉の急。 瓦礫の中から使えそうな柱等を集めたり、ホームページを立ち上げて必要な資材の救援を訴えた結果、関西方面のボランティアからは建設資材が寄せられて、休憩施設の建設が進んだ事を伝え。

 さらに生き延びるために不可欠な食料品も当初は瓦礫のなかから泥に汚れた調味料や米等の食料品を拾い出して来て、共同炊事に使う様子。 救援物資が届く様になってからも、それは離れた中心地域。 そこへ物資の受け取りに共同管理している軽トラックで向かうのだが、途中でタイヤがパンクする。 そんな時には道端に横転している車からタイヤを外して組み付けるなど。 そんな生き延びるための活動を全速力でやっている様子を伝えていた。 当然全速力で事を動かしている集団のリーダーのストレスは相当な物。 リーダーにも疲労が溜まって体調を崩し、病院に運ばれる様子も映しだされた。

 そして、仮設住宅建設を早めてもらうために、高台にある農地の持ち主と話をつけて土地の手当の目途を付け、 更に重機が入れる様な道幅(6m)の道路建設まで自分たちで計画し、 これまたボランティアの人達が必要な測量作業の援助をする。 そして最後は仮設住宅建設を扱う行政の人間を現地に呼び、その場所への住宅建設を訴える。
 しかし、そんな住民の要請に対して行政側の人間は、「生活に必要な水道設備のためには、その場所まで300mほど水道管を延長する工事が必要であるが、その費用の工面が難しい」などと難色を示す様子を伝えて番組は終わった。

 以前は、「建物などが単に瓦礫として処分される様子は敗戦後の復興の時期の貪欲さと比べて見劣りするのではないか?」との想いもありましたが、 「建物の柱や車のタイヤなど何でも有りで利用している地域も有るんだな」と知り、 その他、ボランティア組織からの救援活動も含めて復興へ向かう大きい力があると感じる事が出来ました。

 更にその朝、NHKは同じシリーズの番組を続けて流したのだが、それは被災地域の小さな診療所に務める若い医師の活動や苦悩、 その医師が下した決断「一年後にはその診療所を辞めて、他所に移る」その事の意味を追う、どちらかと言えば暗いテーマの番組となっていた。

 明るくても暗くても、ドキュメンタリー「被災地 再起への記録」シリーズは僕にとって、見ごたえのある番組です。
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ドキュメンタリー「被災地 再起への記録」

2011-05-02 21:31:31 | 地震の周辺
 「被災地 再起への記録」と題したシリーズの番組をNHKは放映し始めています。 昨夕のこと、公民館での囲碁の対局を終えて家に戻った時間は5時半を回っていた。点きっ放しになっていたTVの画面には津波で被害を受けた東北の様子が流れていた。 見るつもりもなくぼやっと目をやっていたのだが、だんだん真剣に見始めた。 舞台は宮古市の東南に位置する重茂半島にある漁協に所属する組合員さんたちの復興への取り組みを伝えるドキュメンタリー番組だった。

 その漁協の組合員総数は400人超、彼らの持ち船の大半は津波にさらわれてしまい、使用可能な状態で残った漁船は50隻程だった。  漁船を失った漁師さん達は個人的に融資を受けて新たに漁船を購入しようとしても、 融資条件に合わない人が出てきたり、収入源を失い当面の生活資金に不安があったりする。 だから、放っておけば漁民としての再起を諦める人も出たり、多くの住民が他所へ移ってしまう事も考えられる。 そんな状況をなんとかして地域復興への道筋を付けようと、漁協の幹部は以下の様なことを計画して提案した。

全組合員の漁船建造資金を組合保証(?)によって金融機関から借入可能にする。
全員が船を持てるようになる迄の当面の生活資金確保策として、次の案を提示。

  残された漁船の共同利用。
  漁船共同利用で水揚げされた利益の共同分配。


 番組は、この提案が組合総会の場で漁協員の賛同を得られ、生活再建への取り組みが始まった事を伝えて終わった。

 紹介された漁協幹部さん、 僕なんか、漁協や農協の幹部と聞くと、ついヤーさんの幹部も務まるような顔をイメージしてしまうのだが、 それとは全く異なる、ごく普通のオジサンの風貌だった事も好ましく。 何よりも将来に希望を持てる形で動き出したことを伝えるこの番組は見ていて久しぶりに明るい気分になれる良い番組でした。
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原発構内作業員の待遇

2011-05-01 08:36:52 | 地震の周辺
 福島原発事故に伴う発電所構内での対応作業は東電の協力企業、更にその下に位置する下請け企業からの作業員が担って居る。 そんな作業員は原発から10kmほど離れた場所にある東電のスポーツ施設の建物をあてがわれ、津波被害の避難所生活をしている方々と同じ様な状態で過ごしている。 そこにはベッドは無く、床の上に毛布や寝袋を使った雑魚寝で睡眠をとり、 インスタント食品中心の食事を摂る。 そんな風景が放映されたのは随分と前のことだったと記憶する。

 ところが今でも原発構内の作業に従事する人々は2千人以上も居ることや、床上にごろ寝状態の宿泊環境であると、今朝のNHKの7時のニュースで伝えていた。  このTVが伝える作業員さん達の雑魚寝情報がどこまで正しいか僕には判らないのだけれど、 もしもそれが今も本当に続いているとしたら、 作業員の体調不良、それに伴う不注意が原因となって原発構内作業で大きな事故を発生させるのではないか? と心配になります。

 東電の協力企業への対応は昔から、TVで報じられている様な劣悪な作業環境も問題にしない体質であったのだろうけれど、 原発構内で種々な作業を担って下さる人々の住環境を快適にしてあげて下さいな。 食事も暖かく栄養もある適切な物を提供する体制を整えてあげて下さいな。 それが、故障した原発を静かに眠らせる大きな力になるのではないですか?

 東電の社長や副社長等が手分けして福島県の原発災害被災者の避難場所を訪れて頭を下げている風景も報じられているのだが、 そんなのは補償金を値切る方向への働き掛けに過ぎないでしょう。  東電のトップの方達は嫌々と苦虫噛み潰した顔で避難している人々に頭を下げる事よりも、 原発事故の拡大阻止に役立つ事を第一優先とするように指示し実行して欲しいと思う。

 もっとも下請け作業員の待遇改善なんて、そこら辺の対応は社長よりもっとずっと下のレベルの職員が判断して実行しても良い筈だけれど、東電さんは、協力会社の作業員の環境改善なんて「上から下まで、俺は知らん!」の体質に染まり切っているのかな... 
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