年金破たん処理・代案等

2011-10-20 09:29:27 | タナカ君的偏見
 年金の支給開始年齢を60歳から65歳に遅らせる、そんな制度変更が行われたのが2004年の事。 その当時は百年先を見据えた制度変更と豪語していたと記憶しているが、あれから10年も経たないのに、更に支給開始年齢を遅らせる計画がまた始まった事を最近の新聞は伝えていた。

 20代の頃は年金のことなんか、これっぽっちも意識したことは無く、30・40代の頃も我々が納めている掛金は基本的にはどこかに積み立てられて、利子も付く形で運用されているのだろうと思っていた。 でも各地に建設された厚生年金会館、病院、老人施設、それらが我々の納付した金を原資に建設され、 人件費にだって使われているらしき事を知り、 薄々危なさを感じ始めた。 「現役世代の納付金で年寄りへの支給を賄う」そんな制度では人口増加が止まり、経済活動が縮小すれば制度の維持が難しいのは判るし、 最近でも年金記録問題を徹底的に調査するなんて馬鹿げた作業に多量の人員と費用を投入して、なんの悪びれた風も無い所管の省庁。 こんなじゃ年金財源の費用が破綻するのが目に見えます。 

 それで自分の採った行動は、現役から離れる時迄に世の中の平均貯蓄額を上回る資金を用意すること。 生活していくのに必要な物の値段は世間の大半の人が使える金で購入出来る様に決まっているとすれば、 年金制度が破綻して年金が大きく減額されたり、支給されなくなって多くの人々の購買余力が減ったとした場合、世の中の物価も安くなってくれるんじゃないか? だから「世間一般よりも、少し余分に現金を持っていれば、 少しだけ余力を持って生きていけるだろう」、そんな風に考えて資金を準備するために現役生活を65歳迄いやいや延ばす生活を続けたのです。

 ところで最近報道された、「年金制度維持のために更に支給開始年齢を遅らせる」そんな解決策は好みじゃ無い。 先日の会津の山旅の宿でこの年金制度変更案が話題になった時に話した僕の解決策を書いておきましょう。 勿論その場では年金受給中の仲間からは鼻白む表情で無視された内容ですが・・・

 ☆ 支給開始年齢は60歳に戻す。
 ☆ 支給停止年齢を設ける 例えば 75歳。
 ★ 停止年齢に到達した以降、 申請者に国は一酸化炭素のボンベ購入券を支給する。

 つまり、「年金支給停止年齢以降は自力で経済的に活きて下さい!」そんな基本方針にするのです。 年金が停止されて経済的、健康面、あるいは精神的に「あの世への旅立ち」を意識した者は 支給された一酸化炭素のボンベ購入券を有効利用するのです。

 今だって、そんなガスボンベは市販されては居るのですが、近所のスーパーで買う気軽さで購入する事は出来ません。 だから国が発行した購入券があれば正規に気軽に購入出来る、 そんな風になったら良いのにと思うことがあります。 そうすりゃ、不健康な状態で医療費膨らませる事態も少なくなるだろうし、年金欲しさに受給者の死亡を隠して延々と年金を振りこませるなんて馬鹿者も阻止出来る。


 それから少子化対策に国は子供手当てなんて大金投じているけれど、 金を子育て世代に与えれば、教育産業等がそれをむしり取る事業を拡大させるだけ。 子育てに今より沢山の金が掛かるだけの話になってしまうんじゃないかな?

 そんなのよりも「家族が無ければ老後の生活は成り立たない」昔だったら当たり前のそんな環境に立ち戻したらどうですかね? そんな環境の方が結婚や子育ての動機づけになるのでは? と思いますけど。

  最後に、以前にも書いたと思うけど、高齢者の多くは、 目的があって生きているわけじゃなくて、死なないから惰性で日々を生きているだけの話。 昔からポックリ死願望を多くの人々は持っていて、 それが実現するなら平均寿命と言われる80歳までも生き続ける必要は無いと思っている人が多いんじゃないかな。 そんな願望を爽やかにあっさりと実現出来る手段を国は与えてくれれば良いと思うけどな。 67歳になった僕の生活を省みて云うと「仕方なしに強引に目的を作って山歩きをしたり」、「日々の些細な事を針小棒大なブログ記事にしてダラダラと生きて居るだけ」 そんな日々の繰り返しが実情ですから。
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アルパカのの手袋

2011-10-18 20:27:48 | タナカ君的日常
 昨日のブログの記事の中で触れたペルー土産のアルパカの毛で作ったと言う手袋。 Sさんから頂いたものですが、つい嬉しくて見せびらかしたくて、妻と僕が貰ったその手袋の写真をUpしてみる。 これからのシーズンにありがたく使わせて貰います。 

 Sさん、これからもドンドン海外旅行して、お土産一杯買って帰って来て下さい。 待ってます!!
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大嵐山・湯ノ倉山登山

2011-10-17 23:00:53 | 国内旅行と山歩き
  福島県 湯の花温泉の東側に聳える大嵐山(おおあれやま)1635mを沢沿いのコースから登り、下山時には派生する尾根にある1343m峰の湯ノ倉山を経由するコースを降りた。

 ところで今回の山行を計画したF君の話では湯の花温泉で以前に宿泊し、食事や宿の雰囲気がいたく気に入った「本家・亀屋」さんに泊まるのが目的で、大嵐山に登るのは刺身のツマのような扱いだったらしいのだが、 残念ながらその亀屋さんの予約は取れなくて、別の民宿「山楽」さんを予約したのだそうな。

 そんな旅先での宿の夜と言えば大貧民のカードゲームに熱中するのが恒例の仲間達なのだけれど、 温泉に入り夕食を済ませて部屋に戻った昨夜は、ペルーの旅から戻ったばかりのSさんの話を一頻り聞く内に未明出発組には眠気が襲って来たらしい。 それでSさんがペルー土産に持参した人数分の色違いのアルパカの毛で編んだ手袋をじゃんけんゲーム感覚で取り合ったのを最後に 「今夜はもう、大貧民やらないで寝ましょう!」となったのです。

 そして今朝、いよいよ”刺身のツマ?の大嵐山”への登山です。 7時からの朝食後、標高710mほどの地点にある登山口の駐車場に車を停めて歩き始めました。 最初は植林地の中の林道もどきの道を進み、しばらくすると沢沿いの道になります。 水の流れが無くなってからも真っ直ぐに沢を詰めるような道なのだが、砕石状のゴロゴロ石で歩き憎く感じるルートでした。 そんな沢筋を詰め終わる標高1300m近辺に湯ノ倉山への分岐が現れた。 この山の登山標識は要所に見やすい案内表示が取り付けられています。 なので大雨の後で普段水流の無い沢筋にも水が出ている様な悪条件で無い限り少々歩きにくい所があるものの、登山に特に問題のある山ではないでしょう。

 湯ノ倉山への分岐を過ぎてから、更に樹林帯の中に付けられた山腹の道を進むとやっと尾根筋に出ました。 途中で下山してくる2人組に出会ったのですが、その人達と僕達以外には登山者の居ない静かな山でした。 ウイークデイだからなのか? 福島原発事故の後遺症か? 昨日の小野岳と云い紅葉シーズンなのに静かな山域です。



 そして「刺身のツマ」そんな呼び方をした僕達に文句も言わず、



大嵐山はなに喰わぬ顔して中腹以上を黄や赤の色模様で飾り立て、


道には紅葉の真っ赤な落ち葉でVIP用の絨毯を敷いて待っていてくれました。



 それから、写真の様に根元から幹が2m以上も空中を横になったその先でやっと天を目指して立ち上がっているおどけた大木も出てきたり、

 

 更に山頂では曇りがちの空ながら、ほぼ360度の眺望が得られたり、なかなか趣向を凝らした出し物で僕達を迎えてくれた大嵐山に感謝です。



 下山ルートで立ち寄った湯ノ倉山のピークから見た大嵐山(背後の最右端が山頂)。

湯ノ倉山のピークからの下山路は結構急な斜面となのだが、ルートはジグザグを切ったり、ホールド出来る樹も多く特に不安は無く下れる道でした。

[コースタイム]
07:37 登山口出発。
10:50~11:40 山頂にて大休止。
13:22 湯ノ倉山 山頂。
14:45 登山口帰着。
(登山中のペースはほぼ30分に1回5分ほどの休憩を入れています。)

下山後は宿泊客入浴券を手にして、公共湯「弘法の湯」に立ち寄り汗を流し、帰路に着いた。

 帰り道は那須塩原ICから東北道を利用、走行中に出ていた渋滞情報では「朝霞料金所から川越方向4km 2時間の渋滞」とあったので、 福島に向かう時に利用した東京外環道を経由して関越の所沢まで走るのは渋滞の中に突入する危険があると判断して、 久喜IC近くに出来た圏央道の盲腸線「白岡菖蒲」ICで高速を降り、埼玉県道12号を走って「桶川・北本」ICに至り、そこから再度 圏央道を入間まで利用して帰宅した。 
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小野岳登山

2011-10-16 21:04:30 | 国内旅行と山歩き
 福島県 湯野上温泉、その北方に位置する小野岳1384mに登った。

 昨日の昼食は宇都宮餃子を食すべく鹿沼ICで降りて宇都宮中心街に入り込んだ。 その後は日光杉並木の道(国道119号)を今市へと向かった。 そんなドライブの途中で今回の山行のリーダーF君から2度も着信があった事に気がついた。 「天候が悪そうだから中止したい」そんな連絡かな? と心配しながら連絡をとると、なんと明日に登る予定にしていた大博多山への登山ルートの林道は災害で封鎖されている。そのために現地では予定されていた山開きの催しも中止されるのだとか。 だから行き先を小野岳に変更すると言うものだった。 そんな連絡があったので会津西街道で山王トンネルを越えた後は只見方向に向かわず、 若松方向に走り、登山口に近い湯野上温泉に宿を取ったのです。

 そして今朝未明に埼玉県の自宅を出発して来た眠そうな顔付きした仲間とは、福島県 湯野上温泉駅近くのセブンイレブンの駐車場で合流しました。 そして大内宿(小野岳の西側)に向かって走り、駐車場に誘導しようとする係員の居る道を更に先へと進み、大内宿コースの小野岳登山用駐車スペースに車を置きました。 広いぬかるんだ駐車スペースに車は我々パーティーの2台だけ。 一日中他のパーティーに出会いませんでした(もっとも山頂に数分程早く着いたF君の話では20名近い、いわき市から来たグループが別ルートを下山して行ったとの話ですが)。



 登り始めには青空も覗き始めていた天気も山頂に着いた頃にはガスの中となってしまい、展望は何も無く、去来するガスの中で温かい食事を作っての休憩です。



 登山口と山頂の標高差は600m強、紅葉見物がてらの気楽な登山のはずなのですが、 昨夜まで降り続いていた雨で木の根や落ち葉は湿り、下山時には美しく色づいた落ち葉に隠れた木の根等の上にうかつに足を乗せると滑ってバランスを崩しがち。 慎重に歩を進めたので、普通下山時の所要時間は登りに較べて大幅に短くなるのだけれど、大した差が付きませんでした。 そんなこんなで、軽い山と見ていた割に太腿部の筋肉に負担が掛かる山となりました。


 

 そして下山後は観光地として有名になった大内宿の上手に位置する無料駐車場に車を置き、昔の宿場町の面影で有名な家並みの撮影のために短時間だけ立ち寄った後、 明日の登山の山麓となる湯の花温泉の民宿に向かって車を走らせて、本日の行動は無事に終了しました。

[記録]

09:30 湯野上温泉 国道沿いのセブンイレブンで全員集合。
10:05 大内宿コース駐車場より登山開始 
12:23~13:15 小野岳山頂 昼食休憩。
15:00 駐車場に下山。

15:10~15:35 大内宿見物。
17時過ぎ 湯の花温泉民宿「山楽」さんに投宿。
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ワクワク感なき不眠状態

2011-10-15 06:08:28 | タナカ君的日常
 先日NHKTVでの紅葉の始まった奥只見ダムからの中継番組の影響を受けて、今回の福島県への旅は東北道は使わないで、関越経由で小出から六十里越えで紅葉を愛でつつ、途中きのこ汁なども味わってみるか? そんな考えもあったのに、念のために道路情報を確認したら六十里越えの国道は災害復旧とかで全面通行止となっていた。 それで我が家から栃木県経由で福島に走る場合、高速代金をケチる方法やら、渡良瀬渓谷経由で日光を抜けてみるか等と考えを巡らせ、 天気予報の日曜日の午前中まで雨が長引きそうな情報に、大博多山に登るのは、大嵐山の後に計画変更したほうが良いかな? 日曜日の夕方に湯の花温泉の宿へ集合する計画はそのままとしても、追加の旅は、その後にずらした方が良さそうだな、と想い悩んだり。

 そんなこんなで今回の旅の出発前夜はワクワク感の無い考え事を延々と続け、不眠症状のまま横たわって朝を迎えた感じです。

 今降っている雨が明日(土曜日)の朝に上がってくれる事を期待して・・・ ともかく出発します。

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出発準備完了!!

2011-10-14 10:55:53 | タナカ君的日常
 夕方からは雨になるというから朝食後すぐに、車の中を掃除して後部座席を倒して車中泊が可能な様にセットアップを始めました。 登山靴や寝袋等も積み込んだし、久しぶりに山歩きのための出発準備です。

 行き先は紅葉の時期の福島県は湯の花温泉、その背後の湯ノ倉山と大嵐山の登山。 これらの山へは日曜日の夕方に集合して、いつもの山仲間と一緒に登るのだが、せっかくガソリン使って福島県まで出かけて行くのだから、1日早く出発して個人的に20kmほど北西方向にある大博多山(だいはたやま)にも登ってみようかと欲張って計画している所です。 2日連続の山歩きは久しくやってないから少し心配だけど、 昨日の朝にペルー・ボリビアの旅から戻ってきたばかりで、多分時差ボケを引きづって参加する仲間もいることだから、ゆっくりペースでなんとか2日続きの山でも歩けるだろうと予想しています。

 さて登山コースの目印も(Way Point:地図上の赤い小さなマッチ棒状)GPSに Up Load出来たし。 明朝の出発準備完了!! です。
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額に冷や汗

2011-10-13 07:49:10 | タナカ君的日常
中国を旅した友人からは、こんな書き出しのメールが届き、
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中国旅行の報告の前に、、、
ステーブ・ジョブ氏の演説数回聞きました。
すごいですね、やっぱり。
ブログに載せて頂き感謝しています。
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そして南米に旅立った友人からは帰国の途につくとの知らせが入った。
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田中 様
いま、ボリビアのラパスに居ます。
これから、エアポートに向かいペルー~アメリカ~日本と
飛行機を乗り継ぎ帰国します。
スタンバイチケットですので予定通り帰国できるか不安です。
ラパスは、標高3800mの町です。
ホテルの階段登り降りで息が切れます。
それでは また
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それなのにここのところの僕はと云えば... 

  朝食、
  散歩、
  ブログ書き、 囲碁の棋譜並べ、
  昼食、
  公民館へ囲碁打ちに、
  夕食、
  就寝。

金曜日から火曜日はこんな感じの繰り返しで日々を過ごしていました。

 そんな繰り返しの日常の中で、公民館での囲碁の対局もブログ書きもお休みの昨日の水曜日には特別イベントがありまして、それが何だったかと云えば...

 夕食後暫くして、にわかの腹痛。 「ウンコが溜まっている痛みだろう」そんな感触でトイレの便座に座り込んだのだけれど、なかなか出ない。 出るものはと云えば「額の冷や汗」だけ。 2回に分けて座り込み、合計10分近い腹圧印加作業の後にお腹の中はスッキリして、痛みも消えました。 フーッ 助かった!!
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カセットテープからMP3

2011-10-11 08:12:41 | タナカ君的日常
 誰しも若い頃に英会話力向上を目指したり、 単なる格好つけのためにでも教材を購入したことがあると思います。 僕の最初の教材の購入動機は同僚が市価の2割ほどで手放したいとの話に乗ったもの。 当時の教材はカセットテープが主流でした。 その一番最初に手に入れたケースに収納されたリンガフォンのセットなんか40年もの間ほったらかしたままになっています。 もう処分しようか? 長い年月を経過したカセットテープでは、まともに音が再生されないだろうし...  そう思ってラジカセに突っ込んで再生してみたら、なんと音が出るじゃないですか!

 そこで嵩張るテープは処分するとして、ICレコーダでデジタル録音し直しました。 その方法は極めてあんちょこな手段です。 ラジカセのスピーカから音を出して、そのスピーカーから出る音をICレコーダーで拾うのです。  録音場所は小鳥の囀り以外の物音が殆ど無いヤナバの山荘、時期は去年の夏の事でした。 そんな調子で全部で20巻を越す2社の英会話カセットテープ教材をICレコーダへ記録したのです。 ちなみに普通音質状態での記録でしたが、テープ1巻分のMP3形式でのファイルサイズは5~6Mバイト。 2G容量のICレコーダーにとっては全部コピーしても記憶容量の1割にも達しませんでした。 しかし、その録音をした後は聴くことも無く、また1年以上の時が過ぎました。

 そして昨日、このところの日課になっている毎朝の散歩にその英会話教材の入ったICレコーダーを持ち、歩きながら聞きました。 レコーダーの中には普通の音楽も入っています。 最初は英会話の音を聞きながら、後半は音楽を聞きながら歩いたのですが、 音楽の方は歩くリズムと合わない曲の場合はかえって邪魔、 英会話の方は熱中して聞こうとしなければ歩きの邪魔にはならない。 そんな感想を持ちながらの散歩となりました。
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運動会ふたたび

2011-10-10 07:07:37 | タナカ君的日常
 スタートの号砲が響き、万国旗がはためき、徒競走の走者は5人づつ、綱引きに出場した子供達には景品が手渡される。 そんな僕の記憶にあるのと同じ様な運動会が今でも開催されていました。 場所は先日のブログで話題にした同じ小学校の校庭です。 運動会の主催は小学校が設置された曙町地域を構成する幾つかの町内会でした。 トラックの周辺にはそれぞれ町会の名が入ったテントが設営され、そこには冷たい飲み物の給水設備もおかれていました。 場内の治安維持を担当するのは警官の様な制服を身につけた交通安全協会の面々です。 年配で人を見る目も備わった(?)彼らの警備は、カメラをぶら下げた僕のようなよそ者の校庭への出入りだってお咎めなし。 一方、先日の小学校主催の運動会の日の若いお母さん方が担当する警備方針はリボン着けていない父兄は校庭への立入禁止の姿勢だった。

「やっぱりこんな運動会が良いなー!」 そう想いながら、2・3種目の競技を見物して来ました。
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気分的震災復興疲労

2011-10-09 09:20:15 | タナカ君的偏見
 ”22都県が被災3県に経費請求”そんな見出しが踊っているニュースをYahooの記事を読んだ。 その中では ”厚生労働省によると、こうした請求は1995年の阪神大震災でも例がない。今回は厚労省が同法(災害救助法)の規定を踏まえた積極的な救助を都道府県に要請したことが影響したとみられる” とのくだりがあった。 
 そんな記事を見て、しばし考えこんでしまった。 何を考えたのかって? 一言で言えば「気分的震災復興疲労」ですね。 それと民主党政権になってからの諸々の事ですよ。 上手く言えないから箇条書きにしてみます。 

● 法律に規定があったって、金が無くちゃ出来ない事を解って仕事してるのだろうか?

● 生活困難な人の生活を成り立たせるために生活保護法があったとしても、その費用だって自ずと上限はあるよなあ、 全国民を保護するなんて出来ないでしょ。

● 「震災の復旧や復興に使える資金の量はここまでです!」と言ったらどうよ。 大体において、日本全国津々浦々の港をあんなに整備しちゃったのだって、他の産業が上げた利益からの比較的潤沢な税金が使えた時代に永年に渡って投入してきたから出来た事でしょう? 今回ほど広域被害となったら、そんなの壊れたからと言って、すぐに復旧させるほど金は無いだろうし、 無駄の再生復旧の面無きにしもあらずじゃないかな?

● 仮設住宅の耐寒性を増す追加工事の必要性や買い物の不便をを伝える番組があったけれど、 これ以上は自力でやってもらったら?

● 三陸海岸を走る鉄道の復旧なんて考えるだけ無駄、利益をあげられるほどの利用者がないだろうから、せいぜい車を走らせる道路の復旧に留めて置くしかないでしょう!

● 民主党になってからの厚生省「B型肝炎訴訟」では、一人あたり最大3千万円超の多額の補償金で和解だって、なんでもかんでも国を訴えれば金になる、そんな風潮蔓延だなあ。

● 東京電力に対しては何で被害弁済の集団訴訟が組織されないのだろうか?
  国にたいして「金を出せ!」と声高に叫ぶほうが効率が良いとの判断かな?

 ニュースを読んだ後で、俯き加減の姿勢で座卓の下に折りたたんであった三脚を弄びながら考え事していたら、妻から「何しているの?」と聞かれて、「ん? 考え事・・・」 そう答えておいたけれど、その考え事の中身がこんなだと知れたら、また何か言われるのだろうな。
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