七回忌
2011-09-08 | 家族
今日9月8日は亡き母の命日です。
丸6年が経ちました。
七回忌法要は、実家の都合もあり再来週になりますが・・
若き母が嫁いだ家は、この春の終わりに100年以上続いた店を閉じました。
空の上で何を思ったでしょう
長兄のところに娘しかいないということで、すでにこの日が来ることを覚悟していたのでしょうか。
いや、たとえ息子がいたとしたって、どうなっていたかなんて誰にもわかりません。
その実家も商売をやめて4カ月余り
しばらくは後片付けに時間を割いていた兄夫婦も、ようやく次に進む気持ちになり
築50年余の家を取り壊し、老夫婦がゆっくり過ごせるよう、狭いながらも居心地のいい新居を
建てることになりました。
「ビフォー&アフターに出してみたら、こんな面白い題材ないと思うけどなあ」
なんて無責任に面白がる私に、家の娘たちもいっしょになって盛り上がりましたが
現実はそんなに簡単なものではありません。
4月に次女と最後の豆腐を食べに行ってから帰郷してませんので、私にとって思い出いっぱいの実家は
今度行った時には影も形もなくなっていることでしょう。
それでもいいんです。
とにかく、あの場所を残してほしかった。
無責任にああだこうだと姪たちに文句を言ってきましたが、正直ほっとして・・
母もきっと喜んでいるだろうなと決断してくれた兄夫婦に感謝です。
義姉は、私が実家に行った時に泊まる部屋はあるからいつでも来なさい、と
相変わらず、母親のように思いやってくれます。
ありがたいです。
「結局、じーじは一生あの場所で暮らすことになったのね」と先日娘と話しました。
家の娘たちは長兄のことを”じーじ”と呼びます。
義姉のことは”ママ”
長女が生まれたとき、兄は39歳、義姉は36歳でした。
39歳でじーじになってしまった兄、本当のじーじがいない娘たちにしてみれば
私の父親代わりだった長兄のことをそう呼んでも決して不自然ではないのですが・・・
そういえば、母の三回忌のとき、兄が「七回忌には、俺はもういないかもしれないよ」なんて
おかしなことを言ってましたっけ
でも兄は健在です。
来月の誕生日で77歳の喜寿を迎えます。
新築祝いと共に喜寿のお祝いもしなければ、 楽しみです
せっかく新しい家ができるのです。
長生きして義姉と二人でゆっくり老後を過ごしてほしい
母の命日に思うことは、やはり最期を看取ってくれた兄夫婦への感謝です。
丸6年が経ちました。
七回忌法要は、実家の都合もあり再来週になりますが・・
若き母が嫁いだ家は、この春の終わりに100年以上続いた店を閉じました。
空の上で何を思ったでしょう
長兄のところに娘しかいないということで、すでにこの日が来ることを覚悟していたのでしょうか。
いや、たとえ息子がいたとしたって、どうなっていたかなんて誰にもわかりません。
その実家も商売をやめて4カ月余り
しばらくは後片付けに時間を割いていた兄夫婦も、ようやく次に進む気持ちになり
築50年余の家を取り壊し、老夫婦がゆっくり過ごせるよう、狭いながらも居心地のいい新居を
建てることになりました。
「ビフォー&アフターに出してみたら、こんな面白い題材ないと思うけどなあ」
なんて無責任に面白がる私に、家の娘たちもいっしょになって盛り上がりましたが
現実はそんなに簡単なものではありません。
4月に次女と最後の豆腐を食べに行ってから帰郷してませんので、私にとって思い出いっぱいの実家は
今度行った時には影も形もなくなっていることでしょう。
それでもいいんです。
とにかく、あの場所を残してほしかった。
無責任にああだこうだと姪たちに文句を言ってきましたが、正直ほっとして・・
母もきっと喜んでいるだろうなと決断してくれた兄夫婦に感謝です。
義姉は、私が実家に行った時に泊まる部屋はあるからいつでも来なさい、と
相変わらず、母親のように思いやってくれます。
ありがたいです。
「結局、じーじは一生あの場所で暮らすことになったのね」と先日娘と話しました。
家の娘たちは長兄のことを”じーじ”と呼びます。
義姉のことは”ママ”
長女が生まれたとき、兄は39歳、義姉は36歳でした。
39歳でじーじになってしまった兄、本当のじーじがいない娘たちにしてみれば
私の父親代わりだった長兄のことをそう呼んでも決して不自然ではないのですが・・・
そういえば、母の三回忌のとき、兄が「七回忌には、俺はもういないかもしれないよ」なんて
おかしなことを言ってましたっけ
でも兄は健在です。
来月の誕生日で77歳の喜寿を迎えます。
新築祝いと共に喜寿のお祝いもしなければ、 楽しみです
せっかく新しい家ができるのです。
長生きして義姉と二人でゆっくり老後を過ごしてほしい
母の命日に思うことは、やはり最期を看取ってくれた兄夫婦への感謝です。
今日から(本格的には10日から)
解体がはじまりました
ここ一カ月、片づけと引っ越しで
なんやかやと疲れ切った父母ですが、
いよいよ工事に入るということで
心身ともに一区切りしてくれるといいと思います
しかし、
長年、いろんな人が住んだ家だけあって、
掘れば掘るだけ、
いろいろ出てきて
いまは、よくまあ、片付いたものだと思います
少しの間、
汚くて狭いアパート暮らしですが、
ピカピカの実家になったら、
また来て下さい
まずは、
週末、ヨロシクです
静岡は、
元エスパルス 眞田選手の件で
悲しみもありますが、
気分一新
東北にいくぞっ
お兄さんご夫妻も長い間、代々のお店を守っていらしてお疲れ様でしたね。
きっと勤め人には分からぬご苦労もあった事でしよう。これからは今まで出来なかった事
存分に楽しんでほしいですね。
お母さんもみなさんが、新居にお集まりに
なる日を楽しみに待っていることでしょう。
子どもを連れて父母のもとへ出かけていった
ときにも<実家へ行ってきます>といっていた。この言葉の響の持つ優しさと思い出は
立替えられても変わるものではありませんね。
私にとっての実家は父母のいた家、
子どもたちにとってはこの家が実家、
懐かしがってもらえるのかしら、なんて
思っています。
さくらえびさんのご実家はいろいろな
歴史もありますが、新しい歴史がこれからは
積み重ねられていくことでしょう。
それもまた楽しみですね。
やられていたのもあり。歴史を感じます。
実家と言う言葉の響き何とも言えない温かみがあります。
無くなるというのは寂しいですね。
わたしも実家は無くなりました。
まず道路の拡張で壊され母は兄と一緒に住むようになり、その母もいまでは施設へ....
結婚して義親と同居したら....
もう実家へはなかなか行けなくなり
こどもたちが小さいときはぼくたちも実家というところへ行こうよって言われ悲しい思いをしたものです。
実家...私にとっては.....実家という言葉は
温かさあり、悲しさもありというところでしようか...
新居ができるのが楽しみですね。
そして老後ゆっくりして頂きたいですね。
古い家はいつかこうなる運命だから
それより、駅からいつもの道を歩いて
あの場所に行けることが嬉しいです。
せっかく新しくなるんだから二人には
元気で1日でも長く住んでもらいたいね。
完成、楽しみにしてます。
そして明日も楽しみに
狭い土地なんです。
それでも私たち兄弟が生まれ育った場所ですから
愛着は言葉では言い表せないくらいで
もしかしたら手離すかもしれないと聞いた時は
本気で、<自分に財力があったら・・>と、悩みました。
昔は1度に30人以上集まった家でしたけど
今度はほんとに年寄2人がひっそり暮らす家になりますので
狭くなりそうです。
でも楽しみです。
震度5強で崩壊と言われました。
一昨年の夏、大きな地震があったけど全然平気だったって
でももう怖くてダメです。
店舗に場所取られてたから使いにくいし
狭くても使い勝手のいい家で、余生を送ってもらいたいと思ってます。
最後に実家を出たこともあり
実家に対する思い入れが人一倍なのだと思います。
実家の姪たちとは姉妹のように育ちましたし
いつも書きますが、義姉がよくしてくれますので
家の娘たちもさんざんお世話になりました。
産院から初めて敷居をまたいだのも実家でしたし、兄夫婦には本当の孫のように可愛がってもらいました。
そうですね、今度は我が家が彼女たちの実家
普段意識してませんけど・・たしかにそうなんですね(笑)
私なんか足元にも及ばないご苦労があったんですね。
私は夫も同郷と言うことで、何かにつけて
帰郷していましたから当たり前のように
甘えていました。
お母様も一人娘であるみいやんさんの足が遠のいてしまったこと
さびしかったのでは?
その分、今あなたに甘えられているのかもしれませんね。
私の母は、最期の最期、兄嫁に素直に感謝してました。
それまでは言いたい放題でしたけど
母には可哀そうだったけど、理不尽なことがあるとどうしても義姉の味方になってしまう。
遠く離れて何もしてあげなかった私を怨んでいるかもしれません
みいやんさんのお義母さまも感謝してますよ
私にはとてもできません。
すごいことです。