ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

大和魂

2012年10月04日 05時36分48秒 | 読書

・・・趣味の日本古代史の本を変わらず読んでいる。 今、読んでいる「大和朝廷」という本は私の好きな、考古学分野の本ではなくいわゆる文献学(?)のような分類の本である。 しかし、それなりに、私の知らない知識を提供してくれるので、読んでいて楽しい。  
 
  

 以下、本に書いてある知識の受け売りがほとんどであるが、
 ヤマトという言葉は私の理解では、古くは三世紀の列島の状況を書いた「魏志倭人伝」の邪馬台国という言葉が最初かと思われる、その頃の記述では列島のことを「倭国」と書いてあり、その中に邪馬台国という国があったようだ。これを、どう読むかで、邪馬台国論争の中で、奈良盆地のヤマトと北九州のヤマトの地名が当てられて、邪馬台国論争の一部を担っていることは良く知られている。

  しかし、ヤマトを大和と云う字を当てるのは、かなり時代が下がって八世紀になってからである。其れまでは北九州のヤマトは古代から、山門県、山門郡(筑後)、山門郷(肥後)などがあり、畿内のヤマトは古事記では山跡、夜麻登、日本書紀では野麻登、夜麻苔、椰麼等、万葉集では山常、也麻登、夜末等、夜万登、八間跡などと書かれている。
  これらの当てられた漢字から、学問的に北九州のヤマトは山の出入り口、外を表していて、畿内の場合は山に囲まれた土地を表しているそうである。

  また、ヤマトを古くは倭と云う感じを充てていたが、その漢字の意味するところを嫌って大和と描き始めたのは養老令(718)の条文が初めての事らしい。

  さて、表題の大和魂であるが、平安時代の王朝文学(源氏物語、今昔物語集、大鏡など)には「大和魂」という言葉が見られるそうですが、その意味は「漢風の際の知識ゃ良識等にたけていること」であって、決して、忠君愛国の意味ではなかったようである。広義のヤマトの心を前提に定着していく時期は遣唐使廃止以後の国風の文化の中で大和の意味が拡大していくらしい。

  遣唐使の廃止で内向いていく国の中で「大和魂」という言葉が変わっていったという事実は現代史の日本の同様の動きを見ているようで意味深い。

コメント
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