・・・十月三日の朝日新聞に 『 信じて僕の言葉を 「重い障害の少年が伝えたかったこと」 』 という記事が掲載されていた。
日本には一億以上の人が暮らしている。 だから、重い障害というだけの記事では申し訳ないのですが、見過ごしてしまう。 しかし、この16歳で亡くなった若い人の生き方の記事を読んで、年をとり、先が無くなってきた我々も、生きることの素晴らしさを感じないで、ついつい、時間を無駄にしてしまっている事に改めて反省をさされました。
彼は一歳の時にマンションの五階から転落して、筋肉一つ自由に動かせなくなってしまった。それから、中学一年の年齢になるまで、言葉が分かっているか否かも外部に伝えて知ってもらうことすらできなかった。 母親は彼が言葉を理解しているに違いないと確信していた。
中学一年の時に身体障碍者用の文字入力ソフトを改良し、読み上げる五十音順の音声に対する、身体のわずかな反応を人が見て、文字を人が入力するやり方を大学の教授が開発し彼に試してみた。 半年後の四回目のこのソフトを彼にテストした時に、彼は生まれて初めて、彼の考えを表現した。
「せかいからせんそうがずっととだえて てきみかたきめずに くらしていけたらいいのに」 中学一年にして、はじめてあらわした、言葉が一字ずつの入力だったがとてつもない大きな話だった。
私が一番感動した会話は
なぜ、彼が若いのに吐き出す言葉が研ぎ澄まされているのかについてみづから話した内容。
「けっしてなにをするわけでもなく ただじっと ことばだけをつかっていきてきた しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので のんふぃくしょんのどらまのようなせかいを すごしてきた どらまよりも すざましいたいけんをしてきた だから ことばがとぎすまされてくるのは あたりまえのことなのです 」
この会話は彼が死ぬ半年前の事でした。
「新聞の切り抜きから (亡くなる年まで)」