民主主義とは いったい何処に向かったんだろうかしら
そんなことも 思ったりします。
民とはどんな立場をそうていするのか あいまいです。
自分が民であるとするなら 上にも下にもきりがない。
資本主義で いまや あらゆる大きさの 車が無尽蔵に走り 重機の装備の種類も豊富で あっという間にできることが増えました。木を売りたければ どんどん切り出せるし 田植えも稲刈りも あっというまで 米は全国に送付できます。
でも きりがない。とどまることがない。自由勝手で 見境がない。
自由勝手に どんな車もどんどんお金に任せて買い替え
どこでも小さな道路でも 走れば 道路はすぐに傷んで アスファルトの張替え。それで 本当に幸せが続くのかしら。
和歌山の水道の破裂で 多くの断水家庭がでたときき驚いています。その政治の のんきさに あきれてもいます。
長年 一本の水道橋で 見直すことも 振り返ることもなく災害を想定することもなく 時が過ぎてきたということでしょうか。
過去の時代より 送る水量はおそらく増える一方だったのではないでしょうか。こんな状況はこれから 各地で起きそうです。
鉄もアスファルトも セメンも どう調達し続けるのか その予測想像はできているのでしょうか。
お金があれば なんでもできた資本主義の時代から やりくりして 底をつく資源をデーターに基づいて融通しあう 幸せ資源根拠申請主義にかえていかなければ ならないのかもしれません。
レジ袋ごときが手間と資源を譲って減らせなければ その先の時代に我慢して備えることなど とうていできなのでしょうがね。