与党もどうかしている。「検証」だろう。歴史を検証して何がわるいのだろう。科学でいえば「検算」「実験」だ。何もおかしくないと思う。
歴史に関して,決まったことには何も言わない・言わせないというのは,そもそも「学問的に」オカシイと思っている。学問は「批判的精神」に基づくものだから。
そういう目で見てみると,高校生向けの歴史教科書はいざしらず,参考書もまったく「面白くない」。
著者自身の考えを展開したっていい。そして「入試対策としての事実はこう,しかし,解釈は異なっている」ぐらいの説明をする。これが僕の望む姿。
かといって,自画自賛ばかりではいけない。
要はバランス。「いい・わるい」でなく,事実がどうだったか,「ときどきの世界観を元に」検証するなら意味ありと思う。
歴史認識というと,右よりも左よりもすぐに「戦争」のことばかり。チョット待て,戦争以外にも日本の転換点は多いぞ。
たとえば,プラザ合意。あそこからバブル景気が始まったと解釈されている。しかし,それは,30年後のいまの解釈ではどうなのだろう。
そういう,僕は「根本を揺るがすようなこと」は起きたほうがむしろよいと思う。なぜなら,それは「考える」から。自分で考えないと答はないから。
東京裁判にしても戦犯にしても,言葉がひとり歩きしている。「戦犯」とはそもそもなにか,昭和20年に敗北した日本が受け入れた「降伏」とはなにか,そういう「意味」を考える事こそ「歴史教育」「実学」だ。
そういう意味で,数学や物理は解釈が揺れないので精神的にはラク。でも,何十年経過しても同じ問題が入試に出るのだから,「出題の意味」を受験生も考えないと。「重要問題」は新しい命題でなく,伝統ある命題なのだと。
原爆,広島,長崎,いろいろ考える事の多い季節である。