オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【金八先生を観て】アクティブラーニングへの違和感。

2016年08月18日 00時00分25秒 | オズマの考える教育問題

 文部科学省のいう「アクティブラーニング」に違和感を覚えて久しい。

 それは「能動的な学習」と解されるが,それは果たして学校の学習だけで身につくものだろうか。

 そんなことを,メトロリバーでのたくましい子供たちと『金八先生』を観て,改めて認識する。

 考えてみよう。「能動的な」には「進んで」という意味が含まれるはず。そういうものを「押し付けたり」できるものだろうか。また,わざわざいう必要があるのだろうか。好きなものは好きでしかないと思うのだが。

 メトロリバーでは子供たちが川遊びに興じている。大人と一緒に・子供だけで,いろいろなスタイルで遊んでいる。川で泳ぐ子供達を見るのは水郷では不可能だから(水が汚すぎる),自然と生まれるのかもしれない。こういう力こそ,理科なり社会なりの「本当の意味」を探り当てる実力がつくと思う。

 背景として,メトロならではの環境も考慮できる。都市部でありつつも自然環境がある。そういう場所でたくましく遊んでいる子供達こそ「アクティブラーニング」の体現者・先駆者であると思う。

 結局,必要なのは環境だと思う。たしかに「職業体験」なども必要だが,「お客様扱い」されては,得られるものも得られない。幸い,僕は父が自営業であったため,中学生~大学まではずいぶん手伝いをしたものだったが...。そして,父よりもお客さんにずいぶん注意を受けたりして,お金のありがたさが身に染みた。それは,学生時代のアルバイトもそうだった。

 僕は,自分の行為を美化するつもりもないし,誰にでも同じにやれというのではない。必要なのは,そういうこともあると深く考慮できる思考が必要,ということだ。

 そこへ行くと,金八先生(とくに「腐ったミカンの方程式」シリーズ)は,時代背景もあり,さまざまな職業がすでに15歳の青少年に及んでいる。この番組は,だからこそ放送当時圧倒的支持を受けたのだろう。

 ときは2016年。金八先生本放送から36年が経過して,取り巻く環境は激変した。

 しかしそれでも,「子供が能動的に学習する」態度のきっかけは,釣りであったりクルマであったり,どんなものでもよいとつくづく思う。

 頑張れ! メトロリバーの青少年! できれば,泳ぐのは少しポイントを外してほしいけどね(笑)。