矢口先生のセリフには,小学生ではとんと理解できないような単語が多い。
隻腕(せきわん),隻眼(せきがん)という言葉もそう。ルビはあえて振らなかったのだろう。辞書を引くことが重要だとして。
汚く言えば,カタワ,片眼だが,言い換えると意味が変わってくるようだ。
類義語なのに,漢字が異なるだけで異なる受け止め方になる。
それは,水木しげる先生のアトリエにお邪魔するときの話だった。そこで「隻腕の漫画家」と紹介されていた。
ルビがないので困った。
たぶん類義語だと思って調べると,出てきた。老眼凄まじく,もはやルーペなしで辞書を引くことは無理になってしまった。
矢口先生の知性は,(ご本人曰く)”知性と教養あふるる”「矢口釣りコーナー」においてとくに身近だったが,大人になっても読み続けられるのは,矢口先生がけして子供向けで書いていなかった証拠だろう。
対して,「言葉狩り」の現代である。たった25年位前までは使えた言葉が使えない。
再放送ができにくいのは,権利関係が複雑なせいもあるが,言葉狩りを「楽しむ」輩がいるからだろう。
僕にとっていま一番違和感があるのは「障害者」でなく「しょうがい者」というように,なんでも「ひらがな」にすること。
漢字には意味がある。父も障害者一級だし,そこにひらがな表記はない。
言葉狩り,言葉いじり。
そんな世界とは無縁でありたいが,黙っていられないのも性分。
まあ,大目に見てください。