「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

巳年に思うこと・・・

2013-01-01 11:08:00 | 日記 ・ イベント







自民党に政権が交代して期待半分、不安半分といったところである。
2度目の総理就任だからこの前のようなことはないだろう。

「 蛇は寸にして人を飲む 」 という。
「 蛇の道は蛇の道 」 で、野田さんよりもロシアやアメリカとは精通しているようだが、
「 藪をつついて蛇を出す 」 ようなことをして、
「 龍頭蛇尾 」 にならんようにせんとな。


我々庶民の生活は一足飛びには良くならないだろうが、
被災地、拉致、基地の “ 3つのち ” の問題を早急に解決してもらいたい。








「 新しい年の始まり 」

2013-01-01 00:13:20 | 馬の詩 ・ それぞれ...

『 新しい年の始まり 』



新しい年の始まりは金杯から
春うららな仁川の桜
緑が映える京都の坂越え
雨の中京乗り越えて
暑い小倉で飲むビールは格別だと

秋の京都の菊絵巻
菊の大輪咲かせとばかり
三〇〇〇メートルを走りゆく
クリスマスツリーの灯ともるころ
中山の馬場で一年の夢がひた走る
今年もいい夢がみれますように ・・・




競輪選手は車券が買えないから、
競馬やオートに自分のダブらせた。
そして、コトバに出来ないコトバを代弁して詩を書いた。

競輪選手時代は年跨ぎの競走もあり、
名ばかりの大晦日や新年を過ごしたこともいく度となくあった。
勝った負けたの勝負の世界。
大晦日や元日は特別な日なれど、
明日の勝負のことばかり気になって変わらぬ一日であった。
その習慣が今も滲み付いて、普段通りの当たり前な日を送る。



熊本県天草市 「 本渡瀬戸灯標 ( ほんどせと とうひょう ) 」

2013-01-01 00:12:13 | 熊本の灯台



天草上島の真正面から撮った灯標














別な位置から灯標を撮ってみた







対岸の天草下島から撮った灯標








対岸から見ると、このような場所に立っている






所在地 / 熊本県天草市本渡瀬戸
塗色  / 赤色
頭標  / 赤色円すい形頭標1個付
構造  / 塔形   構造材質 / プラスチック造
灯質  / 群閃赤光 毎6秒に2閃光
実効光度  / 実効光度 29カンデラ  
光達距離 /  3.5海里       
頂部までの高さ / 7.23m
平均水面から灯火まの高さ / 10.19m
現用灯器  / LD管制器Ⅱ型  電球 / D-2
設置、点灯および業務開始年月日 / S58.12.26


本渡瀬戸灯標は、天草上島と天草下島の間の本渡瀬戸に立つ灯標である。
どちら側からもその姿を確認することが出来るが、
天草上島の平床や船場からだと正面から見る事が出来る。
また、ここから上血塚灯標や横島灯台の姿も確認できるので、
そこにたどり着くまでの大まかなルートが読める位置である。




年越しは 「 かぴたん 」 5年貯蔵で・・・

2013-01-01 00:10:34 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







年越しに選んだ焼酎は、29日に平戸に行った時に買って帰った 「 かぴたん 」 。
南蛮渡来の秘蔵酎 「 かぴたん 」 の原酒を5年貯蔵した逸品で、
本来は蒸留後に40度前後あったアルコール分が、
樫樽で貯蔵されている間に熟成を重ねた結果、
35度の濃厚でありながら丸味の増した凝縮感のある麦焼酎になったものである。
熟成酒だけが生み出すキャラメル香と、樫樽の香りが一体となり、
原酒ながらもストレートでいける程のまろやかさは秀逸である。
35度だけど旨くて飲みやすい焼酎である。

そんな焼酎の名前になったカピタン ( 甲比丹、甲必丹、加比旦 ) とは、
江戸時代、東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者 「 商館長 」 のことで、
元はポルトガル語で 「 仲間の長 」 という意味があり、
日本は初めにポルトガルとの貿易 ( 南蛮貿易 ) を開始した為、
西洋の商館長をポルトガル語のCapitão ( カピタン ) で呼ぶようになった。
その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったが、この呼び名は変わらなかった。
本来オランダでは商館長のことをOpperhoofden ( オッペルホーフト ) と呼ぶが、
日本では使われなかった。


天文19年 ( 1550年 ) に九州の平戸にポルトガル商船が来航し、
永禄4年 ( 1561年 ) からは平戸での貿易 ( 南蛮貿易 ) を許可され、
平戸ポルトガル商館が建設されるようになった。
また元亀2年 ( 1570年 ) にはポルトガルの要請を受けて長崎を開港、
長崎にも長崎ポルトガル商館が建つようになった。
また、日本で布教活動をしていたイエズス会が長崎の一部に領地を得るなど、
貿易港長崎はかつてない発展を遂げた。
天正12年 ( 1584年 ) には平戸にイスパニア商船が来航し、平戸イスパニア商館が建設された。

ちなみに「 かぴたん 」 は、平戸市志々伎1475の福田酒造さんの焼酎である。