「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島県姶良市  ・  近代土木遺産 『 山田の凱旋門 』

2013-01-28 00:04:40 | 近代化産業遺産・土木遺産






































■  所在地  /  鹿児島県姶良郡姶良町下名
■  竣工   /  1906年 ( 明治39年 )
■  設 置  /  山田村兵事會
■  登録有形文化財


 山田の凱旋門は、がっしりと組まれた凝灰岩の石積みを梁がつなぐ。
その姿は堂々として、どこか誇らしげに見える。
「 頑張って来たな! 」 と、言っているように彫られた文字も村人を誇っている。
歴史的幸運もあって、戦勝を収め国民が湧いた日露戦争。
その勝利を称え日本各地で凱旋門が築かれ兵士たちを迎えたが、
東郷平八郎や大山 巌を輩出した鹿児島において、
一地方の村落で、これほどの門を築いてその凱旋を祝うことは稀なことであった。

 明治38年9月にアメリカのポーツマスで結ばれた講和条約によって日露戦争が集結した。
その戦勝を記念し、帰還する出征兵士たちを歓迎する気運が高まった。
東京では10ヵ所を越える大凱旋門が用意され、元帥以下、兵士たちの凱旋を華々しく迎えていた。
このような動きは地方に伝播し、各地に凱旋門が築かれた。
山田の凱旋門もこの頃に築かれている。

その後、他の凱旋門がことごとく姿を消しているのに対し、
凝灰岩で精緻に築かれた高さ4.7m、径間2.7mの凱旋門は現在も姿をとどめている。


山田の凱旋門へのアクセス
山田の凱旋門へは、姶良町の山田小学校から山手に200mほど行った場所にある
山田公民館の裏に建っている。
駐車は、公民館の駐車場が利用できる。



沖縄県宮古市平良   『 ニコライ ・ A ・ ネフスキー之碑 』

2013-01-28 00:00:20 | 沖縄













観音堂経塚の近くに「 ニコライ・A・ネフスキー之碑 」 というのがある。
ニコライは、1920年代に宮古島研究したロシアの東洋言語学者で、
宮古島でかなり詳細な調査研究をされた方のようである。
この碑の建立は2002年なので、当然 「 平良綾道 」 には記されていないが、
この碑の真下にあるのが 「 漲水石畳道 」 なので、
何故か? 「 漲水石畳道 」 は別名、ネフスキー通りと命名されているそうである。